【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2017年1月27日金曜日

第59号

●更新スケジュール(2017年1月13日・27日
第4回攝津幸彦記念賞 募集‼ 》詳細
豈59号  第3回攝津幸彦記念賞 全受賞作品収録
販売価格  1,080円(税込)  豈59号のご購入は邑書林まで
各賞発表プレスリリース


平成二十八年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
》読む


(2/4)冬興帖 第七…加藤知子・真矢ひろみ・小沢麻結・内村恭子・水岩瞳・坂間恒子・羽村美和子

(1/27)第六…下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・池田瑠那・松下カロ・浅沼 璞
(1/20)第五…渡邉美保・椿屋実梛・佐藤りえ・豊里友行・石童庵・田中葉月・陽 美保子
(1/13) 第四…夏木久・関根誠子・池田澄子・仲寒蟬・青木百舌鳥・坂間恒子・中村猛虎
(1/6)第三…杉山久子・曾根毅・衛藤夏子・前北かおる・山本敏倖・望月士郎
(12/3)第ニ…小野裕三・ふけとしこ・岡田由季・仙田洋子・五島高資・林雅樹
(12/23)第一…大井恒行・木村オサム・堀本 吟・網野月を・花尻万博・小林かんな


新シリーズ 【平成アーカイブ】 …筑紫磐井

平成29年となった。平成という元号もあと2年後の天皇誕生日までであるらしいと新年の新聞各紙が伝えている。そこで後1~2年は眼をつぶり、平成を一つの単位として俳句界を回顧するのも価値があるであろう。私の手元にはそうして執筆したアーカイブがまだ相当あるので、平成の回顧とともに、その一部を紹介してみたいそもそも時評である「俳句四季」〈俳壇観測〉も15年間経過しているが、そこで取り上げなかった時評的記事が幾つもあるので、平成俳壇史を眺める上で参考に供したいと思う。



●「街」とその鑑賞①(総合誌を切る)――「街」平成16年6月号(第47号)を読む――


・・・・  筑紫磐井  》読む




  【抜粋】 

<「俳句四季」29年2月号>

俳壇観測169
円錐と街 ――奇妙な、刺激的な、正統的な、斜視的な、

・・・・  筑紫磐井 》読む
  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる



<WEP俳句通信>


95号(発売中)


  • 特集・本誌92号の特集〈俳句の現在――7人の場合〉をどのように読んだか 青山丈・好井由江・坪内稔典・筑紫磐井・星野高士・坊城俊樹・岸本尚毅を読む
  • 真神考8  (秋色や母のみならず前を解く)鑑賞全文  … 北川美美 》読む 


96号(2月15日発売予定)






およそ日刊俳句空間  》読む
    …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
    • 1月の執筆者 (柳本々々 ) 

      俳句空間」を読む  》読む   
      ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
       好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 

      _________________


      【短詩・時評・3・4】
      オムライス・巨神兵・古仏・膜・グッピー・挫折・パチンコ屋・影・美少年・ゼリー・裸・意味
      -『川柳サイド Spiral Wave』の一視点-

      …柳本々々 》読む





    • 柳本々々プロデュース 新春特集 7 1/2 
      • …柳本々々、中家菜津子、竹井紫乙、野間幸恵、川合大祐、岩田多佳子、徳田ひろ子、安福望  》読む



        あとがき   》読む


        【PR】
        『いま、兜太は』 岩波書店
        金子兜太 著 ,青木健 編
        寄稿者=嵐山光三郎,いとうせいこう,宇多喜代子,黒田杏子,齋藤愼爾,田中亜美,筑紫磐井,坪内稔典,蜂飼耳,堀江敏幸.


        冊子「俳句新空間」第7号 2017 春 乞うご期待‼


        俳誌要覧2016「豈」


        俳句年鑑2017年度版・年代別2016年の収穫に筑紫磐井執筆‼
        「二つの力学」筑紫磐井
        【紹介作家】池田瑠那・高瀬祥子・阪西敦子・西山ゆりこ・大高翔・日下野由季・津久井健之・前北かおる・北大路翼・藤本夕衣・鎌田俊・冨田拓也・杉原祐之・村上鞆彦・椿屋実梛・大谷弘至・藤井あかり・杉田菜穂・高柳克弘・涼野海音・中本真人・松本てふこ・抜井諒一・音羽紅子・伊東裕起・小川楓子・神野紗希・西村麒麟・佐藤文香・山口優夢・野口る理・中山奈々小林鮎美
        まだご覧になっていない方は是非!




        特集:「金子兜太という表現者」
        執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
        、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
        連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


        特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
        執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
          


        特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
        執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

        筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
        <辞の詩学と詞の詩学>

        お求めは(株)ウエップ あるいはAmazonにて。

        【抜粋】<「俳句四季」29年12月号>俳壇観測169/円錐と街 ――奇妙な、刺激的な、正統的な、斜視的な、・・・・ 筑紫磐井



        少し遅くなってしまったが、「円錐」と「街」がそれぞれ創刊二五周年、二〇周年を迎えている。全く対照的な思想で編集されている雑誌だ。今回はお祝いではなくて、これらの雑誌にふさわしい刺激的な記事を紹介したい。

        ●「街」(二〇一六年一〇月号)

        今井聖の主宰する「街」が隔月ながら二〇周年を迎えた。特集「師系の内側と外側」を組み、鼎談「師匠の条件・弟子の条件・仲間の条件、あなたはどこにいる」:大串章・正木ゆう子・今井聖と評論(太田うさぎ・藤井あかり・堀田季何・北大路翼・黒岩徳将・西村麒麟・上田信治・阪西敦子・西原天気・高瀬祥子)が目玉である。

        面白いのは、今井が評論執筆者に長文の依頼状を執筆し、記念号にそれを四頁にわたり併載していることだ。依頼された人たちの評論以上に「」の渾身の主張となっている。ただその内容が問題である。今井は師選びへの関心を述べるが、師に対する若手の甘えた発言に疑問を呈している(ように見える)。そして、執筆依頼の5つのテーマを掲げる。

        ①効率的に俳人として立つ方法(今井はこれは皮肉だといっているが、眼光紙背に徹して読むと実は本気であることが分かる)
        ②あなたが師を見きる限界とは?
        ③師に求めるもの
        ④狡猾青年VS純粋老人(狡猾老人VS純粋青年でないところがシニカルである)
        ⑤結社否定の果てに見えるもの

         ③以外は逆説的な結社論であるが、一筋縄でいかないのは、執筆者は一応若い世代の人が多いが、今井の文章には若手に対する批判が溢れていることだ。「あざとい若手」「狡猾青年」「特急列車に乗りたい青年」等の片言隻句からもそれが受取れる。

         これに対し評論執筆者も余り結社に忠実そうでない人が多く適材とは思えない回答もある(私や今井、正木のように結社の毒を身に沁みて知っている世代はいないようだから)が、「②あなたが師を見きる限界とは?」に答を寄せた今井の弟子であり俳壇期待の若手北大路翼が師(今井)を見切る理由を掲げているのが見物である。彼の言う師今井を見切る理由は、

        ①作句信条の宣言と自作との乖離
        ②行き過ぎた拡大解釈
        ③権威に阿ること

         特に北大路は③で今井の俳人協会理事就任を嫌悪しているようだ。「アンタは今でも胸を張って体制に迎合していないといえるかい」と厳しい。しかし、それでも自分は今井を見切ることはないだろうという。それは言っているようにややヤクザの論理に似ているし、敗北の美学に酔っているところもあるようだ。

         この師弟のやりとりは誠に見応えがあるが、師弟ともども俳壇に通用する平均的師弟ではないから余り参考にはならないかも知れない。それにしてもこうした特集を組む今井聖の脳構造に興味がある。嘗て「俳句総合誌8誌編集長に七つの質問」という特集を組み(二〇〇四年)編集長たちから総顰蹙を買ったことがある。今回の師系特集も良識ある主宰者たちから顰蹙を買いそうだ。しかし面白い。

        (以下略)

        ※詳しくは「俳句四季」2月号をお読み下さい。


















        2017年1月26日木曜日

        【短詩・時評・3・4】オムライス・巨神兵・古仏・膜・グッピー・挫折・パチンコ屋・影・美少年・ゼリー・裸・意味-『川柳サイド Spiral Wave』の一視点-/柳本々々

          わたしの顔を見よ。わたしの名は「そうだったかもしれない」である。「もはやない」、「遅すぎる」、「さらば」とも呼ばれている。
          (アガンベン『涜神』)

        小池正博さんが編集している柳誌『川柳サイド Spiral Wave』(私家本工房、2017年)が刊行されました。飯島章友さん、川合大祐さん、小池正博さん、榊陽子さん、兵頭全郎さん、わたしの各川柳30句が掲載されています。

          オムライスみんなこわくはないのかな  飯島章友「徘徊ソクラテス」

          巨神兵いい筋肉はやわらかく  川合大祐「インブリード」

          古仏から目玉が落ちる時刻だね  小池正博「人体は樹に、樹は人体に」

          膜という膜いもうとの紙やすり  榊陽子「ユイイツムニ」

          グッピーのピーが拡散されつくす  兵頭全郎「天使降る」

          挫折とプロフェッショナル挫折は違う  柳本々々「そういえば愛している」

        で、ですね。この柳誌にはもう各川柳作品に加えて、小池正博さんが選出した「現代川柳百人一句」も掲載されています。その「現代川柳百人一句」に対して飯島章友さんが中村冨二の次の句を例にあげながらこんなことを書かれています。

           美少年 ゼリーのように裸だね  中村冨二

          わたしの認識からすると、冨二といえば「パチンコ屋 オヤ 貴方にも影が無い」を代表句とするのが定番なんです。正直、食傷気味になるくらい。だけど小池さんは、2010年代の「偏向」した目から冨二の代表句を選出しなおしたのだと思います。あくまでも推測ですが、小池さんが若い俳人や歌人と交流してきた経験から「いまならこれだ!」と敢えて掲出句を選んだ。そんな気がするのですね。
          (飯島章友「【お知らせ】「川柳サイド Spiral Wave」販売」『川柳スープレックス』(2017年1月20日)

        飯島さんは「パチンコ屋」の句から「ゼリー」の句への〈定番〉の変更を「小池さんが若い俳人や歌人と交流してきた経験」からの「偏向」と書かれたけれど、じゃあ具体的になにが〈変わったのか〉を考えるのは少し興味深いと思うんです。それは今川柳というジャンルがどんなふうに動いているのか、どうみられようとしているかの一端があるかもしれないと思うからです。

        たとえばこの冨二の句の〈変更=偏向〉を例に取るならば、

          パチンコ屋 オヤ 貴方にも影が無い  中村冨二

        の句は〈実存的〉です。「影」があるかどうかというのはそのひとがそのひととして〈どう〉生きているかというそのひと固有の存在をめぐる問題なので、現実の存在としての、実存的な問題だと言えます。パチンコ屋にいるわたしにもあなたにも影がない。でもそのことを「オヤ」と指摘してきたときに、影のないわたしやあなたの存在感が逆説的に浮かび上がってきます。《ある・なし》が問題になっているからです。

        一方で〈美少年ゼリー〉の句は、《ある・なし》が問題なのかではなく、《ある》こと、たとえば「美少年」の「裸」がどんなふうにさらなる《ある》ことへと《拡張・拡散》していくが問題になっています。実存的な問題はここにはなく、プレーンで平坦な「ゼリー」のような緩やかさがあります。存在のある・なしではなく、存在の拡張が問題になっている。ただし、「美」や「ゼリー」という修辞のようにそれは〈偏った〉拡張です。その意味でも「影」のような普遍性のレトリックではなく、〈偏った〉レトリックの句が選ばれているとも言えます。

        まとめてみると、冨二の句の選出の〈変更=偏向〉からうかがえるのは、普遍的実存文学としての現代川柳を偏向拡張文学としての現代川柳へ移譲する試みと言えるかもしれません。偏向拡張というテーマを考えたときに、どうしてこの冊子のタイトルが「サイド」という〈偏り〉があるのか、〈スパイラルウェーブ〉という〈拡張〉があるのかがわかってくるような気もします(ほんとうのところはわたしもわからないですが)。

        これはそもそも「現代川柳百人一句」じゃないか、冨二の一句だけからみて百句全体のことを言うなんて、と思われる場合もあるかもしれませんが、もしかすると現代川柳には、「影」という〈奥行き〉の追求だけでなく、「ゼリー」的な〈ずれ〉の探求というテーマも〈そもそも〉抱えていたのかもしれません(そういう現代川柳の〈ゼリー的な要素〉に気がついていたのは、川柳というジャンルの〈外部〉の人間が、たとえば俳句の小津夜景さんが川柳SF論として〈気づいていた〉のかもしれません。その意味で飯島さんが今回の〈選出の偏向〉を〈小池さんの他ジャンルとの交流〉の観点からとらえたのは興味深いと思います)。

        現代川柳のゼリー性。たとえばおなじ「現代川柳百人一句」から。「思慕」が「意味」へと〈ゼリー〉のように変異する句。

          二週間経ったら思慕は意味になる  樋口由紀子
            (「現代川柳百人一句」『川柳サイド Spiral Wave』私家本工房、2017年)




        2017年1月13日金曜日

        第58号

        ●更新スケジュール(2017年1月13日・27日
        第4回攝津幸彦記念賞 募集‼ 》詳細
        豈59号  第3回攝津幸彦記念賞 全受賞作品収録
        販売価格  1,080円(税込)  豈59号のご購入は邑書林まで
        各賞発表プレスリリース


        平成二十八年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
        》読む

        (1/20)冬興帖 第五…渡邉美保・椿屋実梛・佐藤りえ・豊里友行・石童庵・田中葉月・陽 美保子


        (1/13) 第四…夏木久・関根誠子・池田澄子・仲寒蟬・青木百舌鳥・坂間恒子・中村猛虎
        (1/6)第三…杉山久子・曾根毅・衛藤夏子・前北かおる・山本敏倖・望月士郎
        (12/3)第ニ…小野裕三・ふけとしこ・岡田由季・仙田洋子・五島高資・林雅樹
        (12/23)第一…大井恒行・木村オサム・堀本 吟・網野月を・花尻万博・小林かんな

        • 柳本々々プロデュース 新春特集 7 1/2 
        …柳本々々、中家菜津子、竹井紫乙、野間幸恵、川合大祐、岩田多佳子、徳田ひろ子、安福望  》読む


        【抜粋】 



        <「俳句四季」>
        • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる







        <抜粋「WEP俳句通信」>

        95号
        • 真神考8  (秋色や母のみならず前を解く)鑑賞全文  … 北川美美 》読む 









        およそ日刊俳句空間  》読む
          …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
          • 1月の執筆者 (柳本々々 ) 

            俳句空間」を読む  》読む   
            ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
             好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 



              あとがき   》読む


              【PR】
              『いま、兜太は』 岩波書店
              金子兜太 著 ,青木健 編
              寄稿者=嵐山光三郎,いとうせいこう,宇多喜代子,黒田杏子,齋藤愼爾,田中亜美,筑紫磐井,坪内稔典,蜂飼耳,堀江敏幸.


              冊子「俳句新空間」第7号 2017 春 乞うご期待‼


              俳誌要覧2016「豈」


              俳句年鑑2017年度版・年代別2016年の収穫に筑紫磐井執筆‼
              「二つの力学」筑紫磐井
              【紹介作家】池田瑠那・高瀬祥子・阪西敦子・西山ゆりこ・大高翔・日下野由季・津久井健之・前北かおる・北大路翼・藤本夕衣・鎌田俊・冨田拓也・杉原祐之・村上鞆彦・椿屋実梛・大谷弘至・藤井あかり・杉田菜穂・高柳克弘・涼野海音・中本真人・松本てふこ・抜井諒一・音羽紅子・伊東裕起・小川楓子・神野紗希・西村麒麟・佐藤文香・山口優夢・野口る理・中山奈々小林鮎美
              まだご覧になっていない方は是非!




              特集:「金子兜太という表現者」
              執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
              、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
              連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


              特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
              執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
                


              特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
              執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

              筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
              <辞の詩学と詞の詩学>

              お求めは(株)ウエップ あるいはAmazonにて。

              第58号 あとがき


              2017年 今年もよろしくお願いいたします。


              個人的に11月12月そして年末年始と慌ただしく過ぎました。改めて新たな年へ意気込みはこれから、というところです。何かの占いで、2017年の今年は、世の中全般として予測できないことが起こる年!? と見ました。何が起きても慌てずに過ごしたいものですが、慌てないと多少なりとも事が前に進みませんし…締切と同様、時間の使い方というのは塩梅が難しいところです。ともあれ2017年の読者の皆さまの健康とご多幸をお祈りいたします。

              今年は、豈が第四回攝津幸彦記念賞募集、そして俳句新空間は、年二回配本ながら4年目に突入。小誌は、2017年度版、角川「俳句年鑑」、俳句四季の「俳誌要覧」(3月上旬発行)にも俳誌紹介のページを頂きました。俳壇的なことに疎いのですが、作風に主義主張はなく、個性を尊ぶバラエティに富む作品が集まっているのではないかと思います。まぁノンポリもある種の主義主張といえばそうなりますけれどもね。 BLOGの俳句帖は冬興帖が続行中です。どうぞお楽しみください。


              今後ともBLOG、冊子ともども皆さまのご愛読をよろしくお願いいたします。

              さて、新春企画として柳本々々さんにまつわる7名の作家の方に集っていただきました。年末年始のお忙しい中、ご寄稿ありがとうございました! 今年は、川柳、短歌からの方々のご参加を期待しています。

              まだ寒の内、空気が凍るように感じます。皆さまお身体大切にお過ごしください。

              北川美美




              当ブログの筑紫磐井氏の角川俳句年鑑(2017年度版)執筆記事‼

              俳句年鑑30代の収穫 「二つの力学」筑紫磐井

              【紹介作家】池田瑠那・高瀬祥子・阪西敦子・西山ゆりこ・大高翔・日下野由季・津久井健之・前北かおる・北大路翼・藤本夕衣・鎌田俊・冨田拓也・杉原祐之・村上鞆彦・椿屋実梛・大谷弘至・藤井あかり・杉田菜穂・高柳克弘・涼野海音・中本真人・松本てふこ・抜井諒一・音羽紅子・伊東裕起・小川楓子・神野紗希・西村麒麟・佐藤文香・山口優夢・野口る理・中山奈々小林鮎美

              旬な30代がゾロリ…今年の活躍に乞うご期待!






              <抜粋「俳句通信WEP」95号> 三橋敏雄「眞神」考8 ~赤く流れ出む~ …北川美美



              (76)鹽気帯び骨の山まで歩きゆくかな ~ (85)秋色や母のみならず前を解く
              までの鑑賞。 秋色や~の句鑑賞を全文紹介する。



              (85)秋色や母のみならず前を解く


              聖母と娼婦の二面性を求める男のファンタジー…諸々のなまめかしい想像を掻き立たせる。しかしこれを母恋いの句、濃艶な句として一括りにしたくはない。それは読むほどに深まっていく状態があるからだ。ただ、おぼろげに恋の句であると思いたい。なぜ深まっていくのかを探りたい。
              「雅」と「俗」を文藝の展開区分の旗印とした小西甚一は、領分外としながら、藝術とは何かという問いに、〈有限な人間が「永遠」につながりをつけようとする努力のひとつだ。〉―とし、その「永遠」につらなってゆく行きかたにふたつあると解く。ひとつは「完成」をめざすこと、もうひとつを「無限」にあこがれることとした。前者を「雅」、後者を「俗」として文藝の展開を解く。文学史のどの時代においての区分も、その切込みには揺らぎがない。そして俳諧を次のように解説する。

              俳諧とは、その雅と俗にまたがった表現である。(中略)片足を雅に、片足を俗にかけた表現なのである。
              『俳句の世界』小西甚一/講談社学術文庫

              掲句には「雅」と「俗」のふたつを渡る性質があり、小西式分類からすれば俳諧に相当する原理がある。掲句は一読では、情交がはじまる光景を思わせるが、それは、読者を誘うきっかけであり、その奥には、「見えないこと」―人間の魂、情、言い表すことのできない心象がそこに潜むのではないか。それは、人が「無限」にあこがれる状態だと判断できる。

              まず、構造をみてみたい。先行する類似句が三鬼にある。

              広島や卵食うとき口開く  西東三鬼

              敏雄の掲句、三鬼句ともに、「や」で切れ、句末が終止形。句意は異なるが、作りが同型だ。そして、当たり前の人間の日常動作が、それぞれが「広島」もしくは「秋色」と重なり合うことにより、映像が脳裏に繰り返され、深読みを誘う。とくに敏雄の「前を解く」に人間の心の内側までも解くことを思い、言葉の喚起力に圧巻される。

              同じく小西甚一は、「五・七・五」で断ち切られた世界を「叙述しない表現」「無言の表現」と記す。終止形による切れは、まさにその「叙述の否定」と言えるだろう。また藤井貞和の『日本語と時間』は、助動辞の何も付加しない基本形という裸のかたちについて(終止形とは表記していない)、「裸で投げ出された動詞には時制がないことになる。(中略)時制がないとは時制から自由だということでもある。」と記す。「時制から自由だ」という具体例は、エピグラフ的効力と時を構わず読者の心に切り込む自由さが生まれることを思う。エピグラフは確かに時制に捕らわれない終止形が多い。

              「秋色」は全体を雅な状態に昇華させ紅葉山を見る雅やかさ、秋という季節の移ろい、素肌が感じる空気感など様々な味わいを醸し出す。「もののあはれ」ともいえる美しさを添えていると言えよう。八田木枯は第二句集『於母影帖』の後記に掲句を引き、〈「秋色」の絶妙さに舌を巻く。〉と絶賛する。

              秋の景または気分のことを示す、いささか捉え難い「秋色」ではあるが、具象でいうならば紅葉に見立てた、例えば赤から黄に展開する色とりどりの帯や衣を想起することも可能で、源氏の頃で言う「秋の襲(かさね)」を思うこともできる。「秋色」の「雅」を、「母のみならず前を解く」の「俗」に重ね合わせた、その取り合わせが秀逸といえる。

              行きつくところ、「前を解く」という行為は、実は眼では見ることのできない「心を開く」ことを言っているのではないだろうか。具象でありながら極めて観念的だ。無償の愛を捧げてくれるのは母だけではない、と思うことは、やはり「恋」だと勝手に思いたい。

              白泉句「われは恋ひきみは晩霞を告げわたる」の鑑賞文中、敏雄は恋の句について次のように書いている。

              (前略)いわゆる連句の世界では、さらに遡って連歌の昔から、恋の句は月・花の定座に次いで重んじられた。 
              ただし、恋の定義というものはなく、適宜、四季・月・花に絡ませて詠み込むか、または雑(無季)の句として詠んでもよいとされていた。いずれにしろ、言わば伝統的な作法上、恋の句を読むことは俳人にとって欠かさないものであった。にもかかわらず、独立形式とされてからの俳句には、なかなか恋の句が現われにくくなっている。 
              (中略)もちろん恋に年齢はないから、青春をすぎての体験的な恋の句の場合はだいぶ事情がちがう。表現形式の生理のちがいによるとでも言っておくよりほかなさそうだが、試しに恋の句を作ってみればわかる。 おおむね体をなさない。だらしなくなってしまうのだ。 
              (中略)恋一途のすぐれた句を現成させることは、実にむずかしいのである。 
              『鑑賞現代俳句全集 第六巻』渡邊白泉句解説/三橋敏雄



              青春をすぎての体験的な恋の句の場合はだいぶ事情がちがう。〉―これを敏雄は実作をもって呈示している。なまめかしい高揚する気分だけでは本当の恋とは言えない。無限に憧れる、永遠なることが恋なのではないか。秀でた恋の句は、断ち切れた形で恋の叙述を否定し続ける。

              『眞神』の母の登場する句を再度引いてみる。

              母ぐるみ胎児多しや擬砲音  (4)
              生みの母を揉む長あそび長夜かな (25)
              母を捨て犢鼻褌(たふさぎ)つよくやはらかき (51)
              産みどめの母より赤く流れ出む (77)
              秋色や母のみならず前を解く (85)
              ははそはの母に歯はなく桃の花(94)
              大正の母者は傾ぐ片手桶 (114)
              夏百夜はだけて白き母の恩(124)

              (76)~(84)句を含む鑑賞の全文は、 <WEP俳句通信>95号をご覧ください。



              新春特集 71/2 … 柳本々々、中家菜津子、竹井紫乙、野間幸恵、川合大祐、岩田多佳子、徳田ひろ子、安福望


              新春特集 71/2



              0/8・・・柳本々々

              パレード  柳本々々

              わたしが寄稿させていただいた7人の方々に作品をお願いし、各著作をめぐる制作話を自由に書いていただいた。7は7名の7に、1/2は私の拙句になっている。掲載順は、刊行順とした。

              タイトルは、フェリーニの映画『81/2』のもじりだが、『81/2』では一見無関係なエピソードが時空を超えてつながってゆき、最終的にすべての時間を胚胎したパレードへとなだれ込んでいく。だから今回もパレードを志向している。

              わたしはパレードが好きだ。街でパレードをみかけると、後ろにこっそり並んでついていく。ときどき、取り押さえられることもあるが、たいていは、パレードはわたしにかまわず、続く。わたしの後ろに歩きはじめるひともいる。そうすると、もう、わたしはパレードの正式な一員である。パレードはどんどん、過去に、未来に、長くなる。パレードはわたしに話しかけてくる。おまえの過去は、未来は、いまは、どうでしたか、と。わたしは、あるきつづける。それがパレードへの答えになるような気がするからだ。

              パレードは、つづく。

              歩きながらわたしはふとかんがえる。もしかしたら、川柳や俳句や短歌が並んだ句集や歌集というのはパレードなのではないかと。いやそれだけでなく短詩のアンソロジーというものはパレードなのではないか。

              一見無関係な一句一句の、一首一首の、ひとりひとりの歩みが、歩いているうちに、列をなし、関係しあってしまうこと。

              生きるということ、〈ただ〉生きるということは、パレードになだれ込んでいくことに近い。
              生きているだけで、ひとはパレードになれる。

              特集とは、特別に集める、ということなのだから、それはひとつのパレードになる。未来から過去からあつめられたひとびとのパレード。

              パレードのいちばん後ろを歩いていたのはわたしである。あとがきを書くとはそういうことだと思う。うまく歩けるように、よそ見をしないように、はぐれないように、前をむいて歩いた。川柳、俳句、短歌、絵とジャンルはそれぞれ違うけれど、なんらかのパレード的な、広がっては集まっていく、ゆっくりとしたつながりがここにはあるように思う。短詩とはパレードではないか。それが今回の企画で言いたいことである。ただ言いたいことを言うために立ち止まると、パレードからはぐれてしまう。わたしは、歩きつづける。パレードは、つづく。


              1…中家菜津子


                 *やぎもとは詩歌集『うずく、まる』(書肆侃侃房、2015年6月)の挿絵を担当。


              【短歌作品】


              Library/書斎  中家菜津子


              D.H.ロレンス 翻訳伊藤整 発禁本に*******(ゆきはふりつむ)

              ちびくろと怒りの葡萄 ブラックのブックバンドで綴じてパレード

              黄昏が(ぼくの車はよろよろだ、ドロレス・ヘイズ)文字、、を吸い込む

              一部分塗り潰されたキンドルとあなたに忍びよる言葉狩り

              瞼からやぶかれて、ゆき 抱きあえばベッドに硬い本が散らばる


                       (初出 詩誌『びーぐる~詩の海へ』33号「玉繭の間取り」より(一部改稿))

              【詩歌集『うずく、まる』をめぐって】

               うずくまる途上で  中家菜津子
              第一詩歌集『うずく、まる』(2015年書肆侃侃房)を振り返った時、一番、記憶に残っていること。それは巻頭歌を書き下ろすことになって、歌を五十首以上詠んでも、監修の加藤治郎さんに「現代短歌の水準ではない」と言われたことだ。それからは、とにかく歌集を一気に再読した。斉藤茂吉、前川佐美雄、塚本邦雄、岡井隆、葛原妙子…。写実的な描写と、観念あるいは感情とのバランス、その一点に視点を定めて読んでいった。私の思う現代短歌の美しさは、一首が観念に傾いても倒れることのないだけの具象を伴う、けれど、やじろべいではなく綱渡りのように危ういこと、そういう漠然とした思いが溢れてきて力が湧いた。水準と言われたら、水を渦にして短歌の世界の最高潮に溺れてみる。苦しかったことが、今では一番楽しかった思い出だ、深謝。

               セメントと砂利を速やかに混ぜあはすシャベル冷えつつ途上の光 葛原妙子『葡萄木立』

              【中家菜津子・プロフィール】
               なかいえ・なつこ。さいたま市在住。未来短歌会所属(ニューアトランティスopera欄)。第一回詩歌トライアスロン・グランプリ受賞。現代詩と短歌の融合を模索中



              2…竹井紫乙


                 *やぎもとは句集『白百合亭日常』(あざみエージェント、2015年10月)のあとがきを担当。

              【川柳作品】


              バトンリレー  竹井紫乙

              何もかも捨てない廊下に箪笥

              日本語は聞きたくないの猫と犬

              遺伝子は組み替えられたはずなのに

              肥大化が止まぬ娘と息子なり

              モルヒネや私と分身赦す旅


              【句集『白百合亭日常』をめぐって】


               てんてん  竹井紫乙
              川柳を始めて約八年程で第一句集を作成することになり、師である時実新子に選句を依頼するにも句数が少なく、必死で毎日句作せねばならなかった。おそらくあの作業をさせることも、師の思惑だったように思う。飛ぶように売れるはずもない句集を自費で作るということは、自分で自分に重しを付けるようなもの。

              それでも第二句集は必ず作成するつもりでいた。その作業を終えれば、師への最低限の恩返しはしたことになる。そういう句集を作りたかった。

              柳本々々からあとがきの原稿を受け取った時、作業が成功したことを確信した。
              時実新子と柳本々々を繋ぐ点々としての役割は無事完了したわけで、私は今とても自由である。


              【竹井紫乙・プロフィール】


              •  たけい・しおと。1970年 大阪生まれ。1997年 川柳を始める。2005年 句集「ひよこ」。2015年 句集「白百合亭日常」。「びわこ番傘」会員。ブログ「白百合亭日常」

               

              3・・・野間幸恵


                 *やぎもとは句集『WATER WAX』(あざみエージェント、2016年3月)のあとがきを担当

              【俳句作品】


               太郎のことは  野間幸恵

              漂えばいらん・いらくは開く音

              失望はやわらかいパンのままかしら

              近江まで音色はつづく知性かな

              平面を次々広げ午後3時

              くりかえす太郎のことは電車だね


              【句集『WATER WAX』をめぐって】


               風船から  野間幸恵
              今回の句集を出してから気分はずっと大きな風船の中にいます。第1と第2の句集の時は発行と同時に次なる俳句を求めて作り始めていましたが、今回は走れない。その理由は分かっています。句集制作の途中で俳句の同志ような人が突然亡くなったからです。発行まではなんとか頑張りましたがその後、風船に入ってしまいました。

              以前、庭の大きな木が一本枯れたとき、植木に疎い私は狼狽えました。枯れたまま置いておけず、根元から抜くこともできなくて、幹を地面近くで切りました。その結果できた空間の大きいこと。慄きながら唖然としたまま放置してしまったのです。すると近くの樹木が見えない速度で枝葉を伸ばし、気がつくと以前とは違う景色だけれど、いつのまにかさみしい空間が無くなっていました。
              私もそんな感じで彼女の居なくなった空間を一年近くかけて埋めてきたのかもしれない。同じ景色ではないことを自分に言い聞かせながら。

              生きていること、俳句を作り続けることは違う景色を受け入れていくことなのだと、風船から出ようとしてます。


              【野間幸恵・プロフィール】

              •  のま・ゆきえ。1951年、大阪在住。句集「ステンレス戦車」「WOMAN」「WATER WAX」



              4・・・川合大祐


                 *やぎもとは句集『スロー・リバー』(あざみエージェント、2016年8月)の選句作業を担当。

              【川柳作品】


               2017年前夜祭  川合大祐

              椅子のないメトロン星の座り方

              必殺の・ぼくらの・ために・死ねビーム

              よく練った即興曲だいますがり

              無人機の中にかがやく蠅の王

              よく当たるドロップキック前夜祭


              【句集『スロー・リバー』をめぐって】


               スロー・リバーなんかこわくない  川合大祐
              『スロー・リバー』のあとがきに「うな丼のタレが余ったら送ってね」と書いた。「あれどういう意味?」とよく聞かれることになったが、あれ、吾妻ひでおさんの『うつうつひでお日記』での「ポテトチップがあまったら送ってね」というギャグをパクったんである。大体においてこういう方針の句集だと思って頂くとありがたい。ありがたいと言えば、おかげで全国各地からうな丼のタレを送ってもらった。やはり関ヶ原を境にして味が違ったし、フランスのタレはセーヌの味がした。中には空き瓶をくれて、「これでうな丼を食べたつもりになってください」とあったので、白紙を送り返して「これで読んだつもりに」……。噓ですが全体的にそんな句集です。


              【川合大祐・プロフィール】

              •  かわい・だいすけ。1974年長野県生まれ。2001年より「川柳の仲間 旬」所属。2016年、第一句集『スロー・リバー』。ブログ「川柳スープレックス」共同執筆者。



              5…岩田多佳子
                 
              *やぎもとは句集『ステンレスの木』(あざみエージェント、2016年10月)の跋文を担当。

              【川柳作品】


               三角なとき  岩田多佳子

              沸点のとてもマンモスな鞄 
                    
              えんぴつの芯はときどき鳥の糞

              罫線がほほえむ爪を切りながら     

              下流からひゅるひゅると上るくちびる

              放電をしながら草を食む教授



              【句集『ステンレスの木』をめぐって】


               だって・・  岩田多佳子
              句集に向かい、いままでの句を厳選しだしたころ、なぜか「序文」や「あとがき」は無しでもよいと思っていた。「要らない」という選択肢もあってもいいのではないかと・・。前田一石さんの選句。もうそれだけで覚悟が出来て、私の脳回路はすでに助走しはじめていた。そんな中でご縁があった竹井紫乙さん。彼女からいただいた句集「白百合亭日常」。柔らかい感覚の読後感。「跋文」の柳本々々さんのすんなりフィットしていて、なおかつ存在感は存分にありながら延々とつづく文。「跋文」?新しい感触だった。特に々々さんの文章は不思議な響きをもっていて本文にすこしも邪魔をしていない。むしろベーキングパウダーだと思った。「ステンレスの木」で新たな々々さんに出会えて、嬉しいショックだったのは言うまでもない。 

                      
              【岩田多佳子・プロフィール】

              •  いわた・たかこ。2004年から川柳をはじめる。元「川柳黎明舎」同人。京都市出身、在住



              6…徳田ひろ子


                 *やぎもとは句集『青』(川柳宮城野社、2016年10月)の装画を担当。

              【川柳作品】


               嘘  徳田ひろ子

              雷の真下で嘘はうつくしい

              絶対音感嘘つきだけが寄って来る

              嘘っぽい話が好きなピロリ菌

              雪のんのん嘘をつくにはちょうどいい

              問三の嘘の定義を述べなさい



              【句集『青』をめぐって】


               文字力  徳田ひろ子
              去年の11月に初めての句集をだした。川柳を始めてもうそろそろ30年近くなるが、句集なんて暇な後期高齢者が出すものと思っていたし、川柳をこんなしつこくやれると思っていなかった。句も何かに残す事もしなかったし昔の句など書き捨て、川柳なぞいつ辞めてもよかった。考えが変わったのは先だって亡くなった親友が寄越した遺品の中にあった彼女の個人誌。発刊から亡くなる迄の20数年間分を見てからだった。中には昔の私がいた。即吟や句会、大会での私の句があった。忘れていた当時が鮮やかに甦って胸が詰まった。書き手が亡くなったのに文字として残ったものは長い旅をして誰かに感動を与え誰かの希望、道標となれるのだと、その時初めて気がついた。ぐずぐず、もたもたしてる場合じゃない、句集を出そう! この思いを活字として残そう。

              5年の長い長いスランプとブランクをその時私は完全に振り切った。


              【徳田ひろ子・プロフィール】

              •  とくだ・ひろこ。1956年青森生まれ。昭和天皇が下血入院した年に川柳に足を踏み入れてしまう。現在岩手県盛岡市玉山在住、近くに石川啄木記念館がある。おかじょうき川柳社、いわて紫波川柳社、川柳宮城野社、川柳柳山泊、川柳 湖、川柳ふらすこてん、川柳北田辺、ネット川柳会はじめの一歩など



              7…安福望 (+1/2 柳本々々)


                 *2017年2月にやぎもとと共著『きょうごめん行けないんだ』を刊行予定。

              【絵】




              あなたが見せてくれた宇宙はまだ無臭 (絵:安福望、句:柳本々々)



              【『きょうごめん行けないんだ』をめぐって】


               言いにきたんだ  安福望
              本には「きょうごめん行けないんだ」というタイトルをつけましたが、このタイトルには、「あしたは行けるかもしれない」という意味が含まれています。でもあしたになったらまた「きょうごめん行けないんだ」と言うかもしれません。その意味も含まれています。でも、わざわざ会いに行った上で、「『きょうごめん行けないんだ』と言いにきたんだ」とあなたの前で言うかもしれません。そういう意味も、含まれています。

              【安福望・プロフィール】

              •  やすふく・のぞみ。イラストレーター。短歌が好きで一日一首、短歌から絵を描く。『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』が発売中








              参照付録