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2016年10月14日金曜日

【抜粋「WEP俳句通信」94号】 連載<三橋敏雄「眞神」考7>絶滅のかの狼を連れ歩くには / 北川美美

今回で130句収録の句集のだいたい半分のところまで来たことになる。敏雄句の鑑賞をして何の意味があるのか私自身未だにわからない。 しかしながら俳句表現史の中でこの狼の句そして三橋敏雄の創作した作品群がどのような位置に置かれるのか、その当りを模索することは意味のあることだと思える。


今回は、<絶滅のかの狼を連れ歩く>の一句を鑑賞する。



絶滅のかの狼を連れ歩くには~



(75) 絶滅のかの狼を連れ歩く 三橋敏雄


敏雄の有名句、また『眞神』を代表する作品として広く愛唱されている句である。しかし、掲句が一句の作品として如何に読まれてきたかとなると、いささか心もとない。書かれてこなかった稀有な有名句と言ってもよいだろう。


『三橋敏雄全句集』(立風書房)の解題において、高橋龍は、掲句を示し「真神を俳句形式になぞらえたものとする見解がやや定説化しつつある」と記す。(中略)更に高橋龍は以下のように続ける。

『眞神』の作品、構造する言葉自体は、幾つかの新たな観念を誕生させた。しかし、その観念の何たるかは産みの親の著者と言えども説明し難いものであろう。まして、脱皮し蝉の翅の瑞々しさをそのままに概念化の厄を除けながら解題者がそれを果たすのは至難のことで、いよいよ真神の護符の加護にたよるほかない。
『三橋敏雄全句集』昭和五+七年立風書房/解題・高龍龍

高橋龍の言う「観念」が、哲学に於けるイデアであれば、作者側の頭の中にある創造構想のことと解釈できる。この「観念」をキーワードとする解題の一文は、誰も『眞神』を言い尽くせない困難さ、同時にいかなる鑑賞・批評も誤読に過ぎない作品の崇高性を示唆し、この解題もまた永く『眞神』の定説と化していると言える。

作者の頭の中にある「観念」を具象として文章化することは確かに至難である。しかし、「新たな観念」が何を示そうとしたのか、どのような挑戦を試みたのか、その朧げな輪郭を解析してみる意味はあると思える。




(中略)

▼何がそれまでと違うのか
一抹の希望も無い、断ち切られた状態を示す「絶滅」という言葉とともに過去に置き去りにされた「かの狼」を現時制に引き寄せ「連れ歩く」。時制の狂いを生じさせ、超現実の世界を俳句に登場させた掲句は、後に派として括られた前衛俳句の走りとなる作品に相当するだろう。


正岡子規が提唱した近代以降の「俳句」、虚子が唱えた「花鳥諷詠」、そして新興俳句のいずれとも作風が異なる句であることが言え、存在しないもの、実際には見えていないものを俳句上で表現している点に特異性がある。掲句以前の実際に見えていない景を描いた作品とどう違うのだろうか。

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 芭蕉
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に  虚子 
眼帯の内なる眼にも曼珠沙華 三鬼 
頭の中で白い夏野となつてゐる 窓秋

現実を見て超現実となる虚子、超五感により見えていない方の眼に物を見せた三鬼、明らかに「頭の中」と表記した窓秋、ニュアンスは微妙に異なるが、どれも現実を超えていこうとする句である。構造において、「夢」を駆け巡らせた芭蕉の句に近いと思えるが、「絶滅のかの狼」の句は過去において生存が途絶えた(といわれる)生き物、実際には存在しないものを現在に引き寄せ連れ歩く―虚と実の同居している点にある。


(中略)


今まで見て来た『眞神』作品における明らかなる不在「なし」を句に取り入れたものがあった。

真綿ぐるみのほぞの緒や燃えてなし (39) 
草荒す眞神の祭絶えてなし (55)
不穏なまでに存在のない=不在がいずれの句にも鎮座する。敢えて「なし」と句に表した意図は、掲句「絶滅のかの狼を連れ歩く」を配置するためと思えるほどだ。さらに敏雄には、『眞神』以前の初期の以下の二句が〈存在しないもの〉として思い浮かぶ。

かもめ來よ天金の書をひらくたび 『青の中』『太古』 
共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに 『まぼろしの鱶』
「かもめ」は目の前にいなく「来よ」という願望である。「幻の鱶」も同様、眼前の光景ではなく憧憬の対象である。目の前にないもの、存在しないものを無季で表現することが初学からの敏雄の新しさを求める「俳句」のひとつの理念だったことがわかる。では〈存在しないもの〉は詩歌にとって何を意味するのだろうか。

▼朔太郎の『詩の原理』

現代詩の礎を築いた萩原朔太郎の言葉の中に敏雄のロマンチシズムの指標を思わせる箇所がある。

およそ詩的に感じられるすべてのものは、何等か珍しいもの、異常のもの、心の平地に浪なみを呼び起すところのものであって、現在のありふれた環境に無いもの、即ち「現在(ザイン)してないもの」である。(中略)
故に詩的精神の本質は、第一に先ず「非所有へのあこがれ」であり、或る主観上の意欲が掲げる、夢の探求であることが解るだろう。
 『詩の原理』(新潮文庫)詩の本質・萩原朔太郎

朔太郎の説く「現在(ザイン)してないもの」が敏雄の詩的精神の指針として意識されていたと見ることが出来る。朔太郎の『詩の原理』は近代以降の詩学を学ぶバイブル的論考という見当がつくが、敏雄はこの一文に惹かれたのかもしれない。「かもめ来よ」「共に泳ぐ幻の鱶」「絶滅のかの狼」は、〈現在(ザイン)してないもの〉の象徴であり、敏雄のロマンチシズムをよく表す作品ではないか。

敏雄は「俳句とは何か」という問いに「近代詩精神は俳句形式に生かせるのか」という初期より問いを打ち立ててたことが考えられる。

(中略)

では多様化した新興俳句において西洋詩を意識するとはどのようなことだったのだろうか。爆発的なエネルギーを持った新興俳句は、短期間に複合的に増殖していったが、その中にポエジー派という括りを三谷昭が記している。

三谷昭はまず「新興俳句」の根源はモダニズムであると説き、その流れを三つに大別している。生活派・知性派・ポエジー派である。

生活派は更に二つに細分され、当時の生活感情から生まれた都会的風物(欧米から伝わった映画、ジャズ、ダンスなど)を描きながら青春の思いを述べようとする方向のもの、また社会主義リアリズムを基調としたものによる。

知性派の背景には、戦争へと傾く時代に、次第にリアルな表現は許されなくなった情勢が絡み知性的操作が必要になったことを説く。戦争という映像の中にヒューマニティを再現しようとした。白泉「戦争が廊下の奥に立つてゐた」、仁智栄坊「戦闘機薔薇のある野に逆立ちぬ」などに代表される、と続く。

肝心のポエジー派は、昭和初期の「詩と詩論」(雑誌名)に拠る詩人たちのポエジー運動を知っていたはずで、多かれ少なかれその影響を受けたのだろう。それを純粋に継承したと指摘できるのは、富沢赤黄男=高柳重信の系譜だけだと三谷昭は論じる。(出典:新興俳句『三谷昭俳句史論集』昭和五十四年/三谷昭俳句史論集刊行会)

新興俳句のポエジー派―赤黄男、重信に関して言えば、視覚的にもそれまでの俳句と明らかに異なったものを創り出した。例えば〈一字開け〉〈分ち書き〉が挙げられる。

草二本だけ生えてゐる 時間  赤黄男

船焼き捨てし
船長は

泳ぐかな  重信


敏雄についてはというと、西洋詩の目に見える影響ではなく、俳句定型を崩さなかったことにある。右の赤黄男、重信の視覚効果を意識した作品に微妙に俳句から離脱しようとする試みが感じられる。それを説く山本健吉の一説がある。

ある種の現代詩人たちが、俳諧に興味を抱く気持ちには、そこに現代詩の方向をうち開こうとする興味がひそんでいるようである。それに反して、ある種の現代俳人には、俳句を現代詩として純粋化しようとする意図が強く、そのためには古色蒼然としたあらゆる俳諧的なものを断ち切ろうとする願いがある。脱俳諧こそ、彼らのいちずな目標だった。それは子規の俳句革新以来、彼らの長い長い願望だった。見果てぬ夢だったといってもよかった。その-面が昨今ようやくひとびとに意識されだしたのだ。 

「俳」と「詩」と/山本健吉(昭和五十三年「俳句」初出『俳句とは何か』所収)

敏雄の目指したものは山本健吉の示す「脱俳諧」ではない。「俳諧」よりもまったく以前、太古の詩魂に、真の「新しさ」を求めたといってよいだろう。加えて三谷昭の分類するポエジー派とも言い難い印象を受ける。敏雄の模索する俳句の方向性は、近代以降の「俳句」がもつ捩じれの構造の中で多面的要素を含み、西洋詩の原理を近代以降の「俳句」に用いたことは、模索のひとつとみる方が正しいだろう。

▼産土を詩にする

わが家になし絶滅の日本狼図 
(昭和三十五年『断崖』四月号)

掲句の「かの狼」が日本人の血を呼び起こす古来の産土、司祭的な動物である。狼が日本の詩歌においてどれだけの物語性や呪術性をもって登場してきたかと言えば、万葉の時代より狼は祀られていながら詩歌として登場することは乏しい動物だ。

そもそも日本の最も古い時代(上代)の文学では、動物はきわめて神秘的な存在であり、神に近いものだったのだ。『古事記』の蛇、八咫烏は〈神との回路〉であり、同時に〈人の心の鏡〉でもあった(『鳥獣虫の文学史』鈴木健一編・三弥井書店)。

中世になり日本人は、虫や鳥に季節の移ろい、もののあわれを見て来たが、狼はやはり天照大神、日本武尊と関連しそれ故に物語に登場する獣から外されているのではないだろうか。


(中略)

敏雄は、真神という神格化したニホンオオカミに気づくことにより、悠久の産土の狼を西洋詩の原理で俳句に登場させ無二の句を得たのである。先に記した山本健吉の「脱俳諧」は、西洋の文化、精神が入って来た近代、その影響下にある子規以降の「俳句」を示しているが、敏雄は、俳句、俳諧よりも遠い古来の日本人の精神を狼に見ているのではないだろうか。

敏雄の渇望、憧憬の対象「狼」「鱶」「かもめ」は、同時に読者もロマンを描くことのできる陸・海・空の生き物でもある。では何故われわれは、「狼」「鱶」「かもめ」にロマンを感じるのだろうか。



(中略)


▼「かの狼」

「かの狼」―特定の狼であることが解る。明治時代に絶滅とされたニホンオオカミを「かの」と強調しているのか、あるいは、絶滅の狼=ニホンオオカミという定説の逆手をとり懐疑的な意味を含蓄するのか、確定は難しい。確かに共通の了解を示す効果がある反面、暗黙の不確実、不可解ともなる表記である。私はこの「かの」を掲句に置く意味が非常に大きいと考える。

実際の効果を見てみたい。

   『麦藁帽子』 西条八十 
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。(略)

『人間の証明』(森村誠一/角川書店一九七六年)に登場した八十の詩の妙技は「あの」の復唱に暗鬱を漂わせた。映画『人間の証明』(一九七七年公開)の劇中「あの」の不可解さが発揮され、母子の関係が迷宮である予感を与えた。敏雄の「かの」においても、「かの狼」が暗黙の了解における何かの暗号、象徴である迷宮が潜んでいるように見える。高橋睦郎は、「三橋敏雄の修羅場」(『現代俳句全集四』立風書房)の中でこの「かの」について「やや曖昧ともとれる語法が気にならないではないが。」としている。

この「かの」が「狼」を記号として考えさせる役割を果たし句全体に謎を残す効果となっているのではないだろうか。


(後略)



※詳しくは「WEP俳句通信94号」(10月15日発売号)をご覧ください。



(掲載外付録) 敏雄自身の掲句の経緯について書かれた一文を引用する。

私は動物好きで、早い時期から犬や猫をはじめいろいろと生き物を可愛がって飼っていた。だから、前記した護符(筆者注:御嶽神社の護符)の狼の図を見て飼えるものなら飼いたい、飼い馴らせると思い込んだが、日本狼はもう絶滅してどこにもいないと親に言われてがっかりした覚えがある。 
 後年、現在の奈良県東吉野村鷺家口で明治三十八年(一九五〇)に捕獲された一頭の若い雄の狼が最後の日本狼となったという記録を物の本で読んだ。そこで関心は一挙に高まり同地を訪れたいと思うようになった。しかし、長い間、果たせない思いが積るうち、想像の世界にまぼろしの狼をとらえた。いつしか私は一頭の狼を連れて、かの地、深吉野の山中を歩いていた。(ちなみにこの句は、平成十一年十一月三日、文化の日に、前記吉野村が句碑として同地の名勝「七滝八壺」の処に建てて下さった) 

「一回性の表現に感動を求めて」三橋敏雄

「新日本大歳時記・夏」講談社二〇〇〇年版



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