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2015年12月25日金曜日

【短詩時評 8復】 ニューウェーブをめぐるデジタル・ジャーニー-帰りの旅-  / 柳本々々



 ウテナさんもわたしもコスミスミコを抱きしめて、「イヴだものね、聖夜だものね」と叫ぶ、コスミスミコもわたしたちを両抱きにして、「生きてないけど聖夜だものねえ」と叫びかえす。橇やとなかいみたいな音が窓の外に響く、「コスミスミコ、長生きしろよ」ウテナさんが言う、「だからあ、生きてないのお」コスミスミコが答える
  (川上弘美「クリスマス」『神様』中公文庫、2001年)

いまはクリスマスイブとクリスマスによってはさまれた真夜中の十二時です。
わたし(たち)はクリスマスのまっただなかにいるわけですが、そしてクリスマスのまっただなかで時評の途上にいるわたしをわたしはふしぎに思いますが、前回、行きの旅によって目的地に到達した以上、わたし(たち)は帰らなければなりません。

旅を、つづけましょう。

前回はニューウェーブ短歌における1990年代前半当時の加藤治郎さんや穂村弘さんの言説をみてみました。そこにはデジタルメディアの奥行きに〈詩情〉を見出すような視線が感じられたのですが、では、短歌の言説の〈外部〉はその当時どうなっていたのでしょうか。


【3、うちがわの旅、そとがわの旅】


 「まだ行っていないところがある。そこを探してみよう」「無駄に終わるかもよ」「まあ、それでもいいよ」
  (時雨沢恵一「多数決の国」『キノの旅』電撃文庫、2000年)

1991年に出版された『ゼロ・ビットの世界(現代哲学の冒険15)』(岩波書店)で宗教学者の植島啓司さんが「仮想環境システム」という論考において次のように述べています。

 われわれの外側にあると思われていたものが、実際にはわれわれの内側に存在していたり、または、その逆であったりすること。また、目に見えない緊密なネットワークがわれわれのまわりに張り巡らされて、なにが真の意味でリアルかがわからなくなりつつあるということ。そうしたことによって、これまでとは異なる、さらに高度なメディア・テクノロジーの「鋳型」(記号系)が必要とされるようになってきたのである。

植島さんが述べているのは新たな仮想現実が新しいメディアによって用意されつつあることで、言語システムや記号体系も新しくつくりなおさなければならないという指摘です。この〈新しく記号体系をつくりなおすこと〉を短歌という領域において〈実践〉し〈接合〉していたのが大きく言ってみれば、加藤治郎さんや穂村弘さん、荻原裕幸さんらニューウェーブだったのではないかと思うんです。

こうした電子メディアと言語の関係、それらをどう接合するのかという問題は世界的にも注目されていたトピックでした。

1990年に出版、1991年に最初の邦訳が出された電子メディア論の書物、マーク・ポスターの『情報様式論』(岩波書店、2001年)においては次のように述べられています。長くなりますが、電子メディアにおけるコミュニケーション様式の新しいあり方や書き方をめぐる考察として大事だと思いますので引用してみます。

 電子メディアによるコミュニケーションは言語の……レベルにおいて強制的な効果をもっている。語る身体から聴く身体への関係を遠隔化することによって、また読者あるいは書き手と、印刷されたあるいは手書きのテクストの手で触れることのできる物質性との結びつきを抽象化することによって、電子メディアによるコミュニケーションは、主体とそれが送信したり受信したりするシンボルとの関係を覆し、この関係を徹底的に新しい形態に再構成するのである。電子メディアによるこうしたコミュニケーションの主体にとって、対象は言語の中に表象されたものとしての物質世界ではなく、シニフィアンそれ自体の流れとなろうとする。情報様式においては、主体がシニフィアンの流れの「背後」に存在する「現実」を識別しようとすることはますます困難、あるいは的はずれなこととなり、その結果社会生活の一部はメッセージを受け取り、解釈するための諸主体を位置づける活動となるのだ。 
  ……(中略)…… 
 主体はデータベースによって増殖され、コンピュータによるメッセージ化や会議化によって散乱し、テレビ広告によって脱コンテクスト化されたり再同定されたりし、電子的なシンボル転送において常に溶解されたり、材料化されたりしているのである。ドゥルーズとガタリの視点においては、われわれは時間と空間に根づいた「樹木(ツリー)状」の存在から、水を求めて毎日地上をさまよう「リゾーム的」な遊牧民へと変化しつつあるのである。

電子メディアの発達はコミュニケーションの変容をもたらし、物質的な文字を抽象化(記号化)すると述べています。また、〈だれ〉がそれを述べているのか語っているのかという主体も不安定になり、やがて〈だれ〉が語っているというよりは、メディアのシステムそのものが〈大文字の主体〉=〈主体そのもの〉となるような状況となっていくのです。そして語られたことばは、このわたし〈が〉語っているもの、というよりは、このわたしが語っていることばそのもの〈を〉語っていることばという、ことばに対することばそのものになっていく(メタことばやメタ記号がさらにメタメタことばやメタメタ記号を呼び込んでいきます)。

これらの特徴は俵万智さんの短歌には見られず、ニューウェーブの記号化された短歌の特徴といってもいいのではないかと思うのです。物質的な文字が抽象化=記号化された、〈だれ〉が語っているのかわからないような〈システム〉そのものが露出してくる短歌。〈背後〉や〈背景〉を読みとろうとして〈解釈〉しても〈現実の果て〉に行き着くことができない短歌。


【4、みえる旅、みえない旅】


 そこは、『戦争の進化・平和との共存』と書かれたコーナーだった。館長が聞いた。「昨日の『戦争』はごらんになりましたか?」
  (時雨沢恵一「平和な国」『キノの旅』電撃文庫、2000年)

 最後に、これら90年代前半の時代状況を指摘する言説を短歌(表現)史の流れのなかでみてみたいと思います。その際のキーワードが〈みえる〉と〈みえない〉です。

『短歌研究』1991年11月号の「「誌上シンポジウム 現代短歌のニューウェーブ-何が変わったか、どこが違うか」において加藤治郎さんが次の指摘をしています。

 ここ二、三年で始まったことではないのですけれど、視覚的なものの再現で表現できるものは限られている、ということがあると思う。
 ……土屋文明の昭和八年の歌で、……〈吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は〉。やはりある一時期には、典型的に「わが見るは」、見ることによって現実が見えたわけなので、もちろん機械内部にメカニカルなものがあるのだけれど、やはり動いている機械自体が本質だったわけです。それは、目で見て分かる。単純に言ってしまえば。では、現代の情報化社会ではどうか。気になる歌というのは、職場にパソコンが置いてあってそれが光っているとか、ファクシミリがあるとか、そんな歌で現代を歌っていると錯覚しているものです。あれはただ箱の外観だけを歌っているに過ぎない。そうすると、実態は何が起こっているかというと、たとえば黄色いケーブルがあって、その中を毎秒十メガという情報が流れていたりする。目に見えるところで歌っていては、もう歌えない現実が根本的にあるんです。現代を記述する表現を考える時に。従来の手法では絶対に無理なところに来ている。そういった認識で試行している。単に新しければいいというようなことではなくて、ある現実を記述するための言語表現というものの、一つの模索の段階にあるのではないか、と思います。

言語化できない〈現実〉。その〈現実〉をデジタルメディア環境が用意する《現実》。もはや〈見えない〉部分が〈現実〉化していく時代。そのなかで〈現実〉化できるてざわりのある部分は、見えない内部に働きかけ、コントロールし、指示し、操作もできるソフトウェアに働きかけるハードウェアとしての〈外部〉でしかありません。つまり、入力するためのキイボードなどの。

『短歌』(1990年1月)の加藤治郎さんの連作「アレゴリーの氷」にはこんな歌があります。

  いま詩語を挿し入れようとキイを打つ 永遠(とわ)に入力待ちのカーソル  加藤治郎

「詩語/永遠」と「入力待ちのカーソル」との接合が一首の内部でなされている点において、短歌を〈詠むこと〉のなかにデジタルメディアをとおして〈書くこと〉が侵入してきている歌ともいえますが、この「永遠に入力待ちのカーソル」に〈どうしても言語化しえない現実がデジタルメディアを通してあらわざるをえない状況〉が端的に表現されているのもまた特徴的だと思うんです。

ただたんに永遠に歌えない現実=言葉があるのではなく、それは「入力待ちのカーソル」として、デジタルを通して、あらわれるのです。

デジタルメディアの感受・親近から主体を立てるニューウェーブ。

それまでは〈わたし〉がメディアに対して働きかけていた。〈見る〉という行為は能動主体ですから〈わたし〉が主体になりさえすれば、〈わたくし〉は成立していた。

ところがデジタルメディア環境は、ちがう。〈見る〉行為が頓挫され、わたしの知らない領域が世界のリアルを生産する世界になってしまった。

「一九九〇年八月二日のイラクのクウェート侵攻で始まった湾岸危機では、最初から映像が大きな役割を果たした」と高橋和夫さんが『改訂版 現代の国際政治』(放送大学教育振興会、2013年)において指摘するように、ちょうどニューウェーブが言説化されはじめたこの時期の1991年、「映像の戦争」或いは「メディア・ウォー」ともいわれた湾岸戦争が起きています。

ボードリヤールが〈湾岸戦争は起こらなかった〉と述べたようにそれはモニター上の戦争でもありました。ケヴィン・ロビンスは『サイバー・メディア・スタディーズ 映像社会の〈事件〉を読む』において、「湾岸戦争は文字通り、西洋の映像技術の見本市であり、「観察する者」と「観察される者」の間の戦争であった」と指摘しています。

  新しい視覚テクノロジーを通じて、「電子映像の反対側には、実際に生きている他者がいる」という現実は、むしろうやむやにされた。……われわれは見ることはできたが、見たものに対して耳を貸さなかった。われわれは現実世界から切断された。実際の戦争を聞き、感じ、応答することから、切り離されていた。映像の中へともぐりこむことによって、道徳的にノックアウトされ、「相殺」された。
   (ケヴィン・ロビンス、田畑暁生訳『サイバー・メディア・スタディーズ 映像社会の〈事件〉を読む』フィルムアート社、2003年)

誰もが戦争をテレビで〈見〉ていながら実際の戦争を〈見ていなかった〉。戦っている人間でさえ、ミサイルをモニターから撃っていたのがこの戦争の特徴でもありました。

「一九九一年、それはぼくたちが、そして言葉が、いかに無力かといふことを思い知らされた年だつた」(『あるまじろん』) と、この〈湾岸戦争〉を〈日本〉から/へと連作化したのが荻原裕幸さんです。「何ダコレ」や「誰カ」「街?」「最後ニ何カ」とあいまいな指示対象が氾濫しているのが特徴的なように、空爆の〈対象〉が〈不在〉化されてゆくのが特徴的です。誰が見ているのか、誰が語っているのか、誰が見られているのか、誰が語られているのか、誰が空爆を起こしているのか、誰が空爆を起こされているのか。しかし、それでも、記号としての「▼」にみっちりと埋め尽くされ、なにかが破壊し消尽されているのがわかります。デジタルでクールな記号が暴力化しているのです。


  ▼▼雨カ▼▼コレ▼▼▼何ダコレ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!

  ▼▼誰カ▼▼爆弾ガ▼▼▼ケフ降ルツテ言ツテキタ?▼▼▼BOMB!

  ▼▼▼街▼▼▼街▼▼▼▼▼街?▼▼▼▼▼▼▼街!▼▼▼BOMB!

  ▼▼▼▼▼最後二何カ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!
  
(荻原裕幸「日本空爆 1991」『あるまじろん』沖積舎、1992年)

加藤治郎さんは『短歌レトリック入門』において、「一九九〇年代の修辞」の「ハイテク化」を指摘し、ニューウェーブの短歌において使用されていた記号の背景を次のように説明しています。

  では、その背景にあるものは何でしょうか。その主要な要素は、文書処理ソフトウェアの浸透だと考えていいでしょう。手書きの世界から、パソコンやワープロを利用した文書処理環境への移行ということです。つまり、そこでは「鬯」と入力するのも、▼と入力するのも等しい行為(それを行為と言えるとして)なのです。そしてどちらも、作歌の意識上、一拍としてカウントします。われわれは、恋や☆や爨(さん)の間に境界のない文書処理環境に移行しつつあるのです。「鬯」や▼に対する抵抗感が無い環境を前提としない限り、これらの作品は生まれなかったのではないでしょうか。
  (加藤治郎『短歌レトリック入門』風媒社、2005年)

加藤さんが「手書きの世界」から「文書処理環境への移行」を述べているように、ニューウェーブはデジタルメディアへ移行していくなかでの感応性において生起し、明滅していました。その意味でも「ニューウェーブ」の〈私〉は短歌のそれまでの遺産である〈私〉とは〈無縁〉という意味での「ニュー」だったのではないかとも思います。『短歌』1991年5月号「特集・現代短歌のニューウェーブをさぐる」の「遺産ゼロ」において佐藤通雅さんは林あまりさんの短歌を取り上げながらこう指摘しています。

  今や私たちは肉眼以上にたしかな映像を見、人間以上の頭脳を発揮する機械に囲まれて暮している。つい先日まで、私たちは何かを創造しようとするとき、過去の否定をエネルギーにした。しかしもう否定などという営みも無効なほどに、世界は突出してしまった。当然、遺産を学ぶも継ぐも、一手段でしかなくなった。 
  これが林あまりをはじめとするニューウェーブの出発点だと思う。遺産ゼロの出発を強いられているともいえる。

荻原裕幸さんがやはり同じ号(『短歌』1991年5月号「特集・現代短歌のニューウェーブをさぐる」)における「「場」の外部へ」という論考のなかで加藤治郎さんや西田政史さんの短歌を取り上げながらニューウェーブが「散文化により一層明確になつた短歌の共同体的性格を逃れて、今日の詩の言語の向ふべき場所の一つをめざしてゐるやうに思ふ。つまり、隠喩的表現、モノローグ的表現を成り立たせる共通の「場」の中にある限りコミュニケーション(自己と他者をつなぎつつ、自己と他者を区切ること)が成り立たない現状にあつて、「場」の外部でのコミュニケーションをめざしてゐる」と指摘しているのも佐藤通雅さんの指摘の「遺産ゼロ」をポジティヴにとらえたものだともいえます。

ある意味でそれまでの戦後短歌の〈わたし〉はニューウェーブによっていったん途切れ、メディアとの感応のなかでさまざまな言語=記号体系を再構築しなおしながら、〈わたし〉を外部と連携しつつ模索していたとも言えます。それがもうほんとうに〈わたし〉かどうかはわからず、その〈わたし・でない・わたし〉という土壌から斉藤斎藤さんや永井祐さんの〈わたしを問いかけるわたし〉が生まれてくるようにも思います。

帰りの旅がとても長くなってしまいました。まとめます。

ニューウェーブ短歌は〈詠む/書く/読む〉メディアの変化と呼応しあっていました。それが如実にあらわれたのが、1990年代前半でした。80年代なかばの俵万智さんのライトバースではまだデジタルメディア環境は整備されていなかった。90年代前半になってそれらをニューウェーブが感受し、短歌にあらわしていったのです。しかしニューウェーブの〈ニューウェーブ性〉というものはそもそも〈記述的〉に〈それがなんであるのか〉とあらわせるようなものではなかった。それはデジタルメディアという〈外部〉とのたえざる交信や交通のなかにあったから。だからおそらく「ニューウェーブ」とはひとつの〈呼応〉や〈感受〉や〈感性〉のありかたであって、定義できるものではなかったのだと思います。〈こうではない〉というネガのかたちでしか。

米川千嘉子さんがやはり同じ号(『短歌』1991年5月号「特集・現代短歌のニューウェーブをさぐる」)において「“新旧”をくずす“新”」で、「作品や作者に直接の共通点をみつけてひとつの「ニューウェーブ」としてくくることは非常に難しい」とし、「前後にいる作者や作品との連続や断絶の複雑に微妙な《あや》を注意ぶかくよむこと」をニューウェーブを語る際の要点として述べ、ニューウェーブを概括することの危険性を指摘していますが、ニューウェーブとは、おそらく米川さんが指摘するように〈それぞれの立場〉があるだけだったのではないかと思うのです。ニューウェーブとはデジタルメディアに対するそれぞれの応答のやりかただったのだから(少しガンダムの「ニュータイプ」のありかたとも似ているかもしれません。アムロ・レイもララァ・スンもシャア・アズナブルもカミーユ・ビダンもハマーン・カーンもそれぞれ兵器や戦争に対する感受=応答のありかたが違う)。

 前掲のマーク・ポスターは次のように述べています。

  コンピュータ化されたワード・プロセッシングと著者性との相互関係は主体の別の側面を変化させる。著者が一人の個人であり、独自の存在であり、この独自性をエクリチュールの中で主張し、著者性を通して個人性を確立する限りにおいて、コンピュータは彼らの統一された主体性という感覚を妨げるだろう。手書きの痕跡とは違って、コンピュータのモニターはテクストを脱人格化し、エクリチュールから個人性の痕跡すべてを取り除き、グラフィックな刻印(マーク)を脱-個人化する。

「コンピュータ」は〈わたし〉を「脱-個人化」するものとしてある。したがって、むしろニューウェーブは〈わたし〉をデジタルメディアを通した〈書く行為〉からたちあげるしかなかったのだと思います。そしてそれは〈わたし〉という主体性によって担保されるものではなく、デジタルメディアによって常に担保されるものであった。

だから、湾岸戦争が〈起こらなかった〉ように、実はニューウェーブも〈存在していなかった〉。しかしだからこそ、湾岸戦争がそういうかたちで〈起きていた〉ように、ニューウェーブもそういうかたちで〈存在していた〉のではないかと思うんです。すべてはメディアのなかで。


  千行のソフトウエアを打ち終えてあおい液体酸素をすすれ  加藤治郎
  (「魔女の一撃」『歌壇』1990年9月) 

 「ハロー、メリイ、クリスマアス。」
 と叫んだ。アメリカの兵士が歩いているのだ。
 何というわけもなく、私は紳士のその諧ぎゃくにだけは噴ふき出した。……
 東京は相変らず。以前と少しも変らない。

  (太宰治「メリイクリスマス」)

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