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2014年10月17日金曜日
上田五千石の句【暮】/しなだしん
道に出て人の声聞く秋の暮 上田五千石
第四句集『琥珀』所収。昭和六十三年作。
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五千石には芭蕉に似た表現や、型の句があることは「41回テーマ:夜」「42回テーマ:も」「45回テーマ:手」などで触れた。
掲出句は型や表現が芭蕉に近いのではない。「秋深き隣は何をする人ぞ」に、内容、いや感覚が近いと思うのだ。
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「秋深き隣は何をする人ぞ」は、あまりにも有名な芭蕉の代表句のひとつであるが、一般的にはその言葉のまま「秋が深まるなか、隣人は何をしているのだろうか」といった解釈されることも多く、「秋深し」と覚えている人も多い(「六行会」には「秋ふかし」も残る)。「旅の宿りのうちに秋はいよいよ深まってゆく。ひっそりとした隣家は一体どんな生活をしている人なのだろうか」という訳もある。
この「秋深き」の句についてはすでにご承知の方も多いだろうが、一応整理しておく。
元禄七年、芭蕉五十一歳。最晩年の大阪での作。
九月二十八日、門人長谷川畦止宅での俳席に招かれ興業を行う。これが結果的に芭蕉最後の俳席となった。翌二十九日も、根来芝柏宅での興業に招かれていたが、芭蕉は体調が優れず、出席を断念。この日の俳諧の発句として一句を書き送った。この句が「秋深き隣は何をする人ぞ」である。
なお、この日以降芭蕉の容態は悪化をたどり、起き上がることもできなくなる。十月八日には、「病中吟」として「旅に病で夢は枯野をかけめぐる」を門人の呑舟に書かせた。この句が最後の俳諧となり、十二日、大阪の仁佐衛門宅にて息を引き取った。
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「秋深き」は、二十九日の興業に出席の大阪蕉門の連衆を「隣人」と見立てて、出席できず申し訳ない、という気持ちを籠め「何をする」とした、挨拶句とも考えられている。
ちなみに、実際にはこの日は流会となったようで、興行記録も残っていないとされる。
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さて掲出句。
芭蕉の「秋深き」と同様、単純には言葉の通りの「道に出て人の声を聞いた」という内容。だが、家から「道に出て」というのは、広い世界に出て、「人の声」つまりは広く他人の意見に耳を傾ける、という、ある種の理屈にも読める。
この句の年、五千石は五十五歳。芭蕉の享年も疾うに越えている。俳聖と称される芭蕉の生き方、死に様に対し、己の今現在を自責する心持ちも含まれているような気もする。
芭蕉の「秋深き」には、隣人へのあたたかい目線の一方で深まってゆく(自身の)秋のどうしようもない「静けさ」が横たわっている。
五千石の「声聞く秋の暮」にも、どこかあたたかみの感じられる「声」という音があるにもかかわらず、ものがなしい「秋の暮」の静かさが、やはり漂っているように思える。
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