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2014年7月18日金曜日

【俳句時評】  たまたま俳句を与えられた  堀下翔

俳句甲子園の季節である。先月の14~22日にかけて各地で地方大会が開かれた。筆者は15日の東京大会を見に行った。

見物に行ったのは、もしかしたら内田遼乃に会えるかもしれないという期待からだった。内田遼乃。いったい彼女のことを知っている人がどれくらいいるだろう。昨年の秋、週刊俳句の10句欄に登場した女子高生俳人である。当時、東京家政学院高校俳句同好会の二年生。この年の俳句甲子園地方予選に出場している。掲載されたのは、こんな句である。

ピーチ姫を助けに行くわたしは実はあみどだった 
ばっきゅーんうちぬかれたハートはもうはつなつのチョークのよう 
私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海で我慢してね



意味が分からない。言うまでもないけれど、五七五ではない。賛否が分かれるのは明らかだった。先に筆者の立場を言えば、面白いと思った。こんなむちゃくちゃなことを書く人がいるのか。もちろんこれは批評ではなく感想である。この「前髪ぱっつん症候群」には、同好会顧問の外山一機氏による解題が付されている。それによれば「この作品は俳句甲子園の東京予選に向けてつくられたものです。結局これらの句を俳句甲子園で使うことはなく、だからこれまで誰の目にもふれることはありませんでした」「僕はこうした俳句を読んだことがありませんでしたから、面白いと思いつつも、どうしたらよいものか戸惑っていました。そして、おそらく内田の句を受け入れてくれる場は、高校生向けの俳句コンクールやイベントの場ではないとも思っていました」ということだった。そうだろうな、と思った。

自分が同じ高校生俳人だったから、というのが大きいとは思うが、以来、内田遼乃のことがいつも頭の中にあった。俳句甲子園というシステムから彼女のような作家が出てくるとは思わなかった。良くも悪くもディベートを通して俳句を戦わせる俳句甲子園において、「ばっきゅーんうちぬかれたハートはもうはつなつのチョークのよう」のような句は突っ込みどころの塊でしかなかった。だけれどもこの句はいい句だと思った。面白いから。

週刊俳句に登場した反響がどれくらいあったか知らない。同誌の鑑賞記事を見る限り、一人の作家として見る評者もあれば、これからの勉強に期待、という評者もいて、まちまち。とにかく作家内田遼乃は出発した。高校二年生だ。卒業後に俳句を続けるかは知らないが、部活動として、あと一年は俳句を作るだろう。

それで、東京大会に足を運んだのだった。結果から言えば、内田はいなかった。顧問の外山氏に聞くと、もう俳句は作っていないとのことだった。その代りに、彼女の俳句をまとめて見せてもらった。摂津幸彦賞や芝不器男賞にも応募していたという。いただいたのは、その応募句群。重複を除いておよそ100句である。ここに書かないと次に陽の目を見るのがいつになるか分からないので、紹介の意味も込めて見ていこう。なお季語が「初夏」「目高」「網戸」に集中しているのはこの年の俳句甲子園の兼題がこれらだったからである。

いい娘さんになろうと思った。あみどよりも速く 
なつはじめにもらった君のメアドの中には〝aragaki yui〟の文字  
めだか、3号機のかわりなんていないの 
この首の先は君にかかってる私をメリバにつれてって(はつなつや) 
目高を真ん中に私は左に君は右にほら家族みたいじゃない? 
柿の種を飲み込んだ目高 大丈夫?つまってない?


思いついたことをそのまま書き連ねていくような文体。女子高生っぽい点で痛々しくて、その意味では神野紗希「起立礼着席青葉風過ぎた」以来の「高校生俳句」の王道ではある。可愛くて癖があって、まるで歌手のやくしまるえつこの歌詞のようだと思っていたら、そのまま「やくしまるえつこはつなつのベッドのうえで私は今日も図書館へ」という句があった。もう一人連想するのは福島泰樹である。彼もまた言葉が流出しつづける作家。小高賢が『現代の歌人140』(2009年/新書館)で指摘していたが、福島の短歌文体の特色は間投助詞「よ」の頻出である。詠嘆と呼びかけの「よ」。内田句もまた(「よ」ではないが)詠嘆と呼びかけがはなはだしい。ことに彼女の句では「の」が異常に多い。上には「3号機」を引いたが、全101句(二賞の応募句から重複を除いた数)中24句に「の」が現れる。会話語なのでここまで多いとくどさは否定できないが切実である。

内田が、俳句は575の定型だと知っていたかどうか、分からない。そしてもし彼女がたとえば短歌という形式を与えられていたとしても、結果として彼女が作るのは、ここまで見てきた「作品」と、まったく同じものだっただろうと筆者は思う。外に出るべき言葉があって、たまたま俳句という形式を与えられたのだから。

俳句甲子園は、こんなふうに、「たまたま俳句を与えられる人間」を量産しているのだろう。所属していた文芸部が顧問の意向でたまたま俳句甲子園に出場することになった、とか。それに俳句甲子園は5人で1チーム。出場するために、俳句に触れたことのない部員を誘うなんて話はざらである。山口優夢だってそもそもは「タダでマツヤマに行ける」(山口優夢「俳句甲子園と僕」/『週刊俳句』第171号2010年8月1日)から俳句甲子園に出たのだった。

俳句甲子園の功績は、ひとつにはこんなところなのだと思う。「部活」という特殊な高校のシステムによって、たまたま俳句を与えられる人間が何人もいる。彼らがその後俳句を続けるかは別として、結果として多くの俳句が生み出され、誰かしらの心に残ることになるというのは、素直に見て、健康的である。

そもそも多くの俳人にとっての俳句へのかかわりは「たまたま」である。親が俳人、担任が俳人、職場に句会があった……。たとえば岡本眸はもともとOLで、バンドを組んで歌ったり、芝居をやったり(岡本眸『朝』あとがき/1971年/牧羊社)、こっそりテレビドラマの脚本を書いたり(加倉井秋を「岡本眸論」/『俳句』1972年2月号)するような若者だったのが、職場句会で富安風生に出会ったために俳句を始めた……というような話を聞くに及んで、筆者は、しみじみとこの「たまたま」に感じ入るのである。

俳句甲子園によるこの「たまたま」の量産が将来どんな結果につながるか、ちょっと楽しみにしている。


【執筆者紹介】

  • 堀下翔 (ほりした・かける)

1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。現在、筑波大学に在学中。



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