廃墟と宇宙 小津夜景
わたしは軽トラックに乗ると、鼻歌を歌ひつつ無断でそれを発車させた。月下に静まり返る住宅街を抜け、原生林ばかりの郊外を過ぎて海へ出ると、そこには緩やかな海岸線に沿ふやうに、炭坑用臨港鉄道のブロードゲージが続いてゐて、その脇には海底の石炭を掘り出した際の、白ズリの山の裾野があつた。わたしは軽トラックを降りてブロードゲージをまたぎ、白い石灰岩が偽りの天然と化したズリ山の端をおもむろに踏みしめた。それがゴミだといふことを確かめるために。
踏んだ瞬間、山がまがひものであることはすぐ分かつた。けれどもなんとなく、ゴミで山をつくるといふ営みが、人間の労働に不可欠の、手すさびとしての創意であるやうな気分にもなつた。この「巧まざる賜物」は、労働といふ自己疎外によつて生み出されたからこそ、こんなにも真つ白に、無意味に輝いてゐるに違ひない。ああ。なんて背理的なオリジナリティに満ちた夜なんだらう……。
わたしはさう感動しつつ、目の前のゴミを、固有のリアルさをもつ建造物であるとみなして静かに登り始めた。
白ズリの、そのざらついた肌合ひは力強い活力に満ち、その肌に埋もれたシェルフミンは儚く侘しげで、生きたまま化石となつた海の生き物の、そのおびただしい死骸の上に立つていま月を仰いでゐるわたしは、この覚醒しきつた空間とあの目に見えない時間の両腕に抱かれ(あるいはそんな時空の狭間に見捨てられ)まるで廃墟を制した天使か蛆のやうだつた。
ともあれ今宵のわたしは、廃墟のまぼろしが、完全なる現実感を備へた建造物に欠くべからざるものだといふ真理を、はつきりと学んだのだ。
ジェラートの燃えて宇宙が永き午后
義髪なるモナリザ蛆を笑まひけり
白玉に化けて迷子の祖父無傷
ニッキ水灰の情事を聴いてをり
ゆすらうめあまたの死後の重さかな
シーシュポス裸のランチ食しにけり
みなつきの月ぞはじめて吸血す
真夜中の通り魔パインアップルは
我が名よぶ遥かデモクリトス水着
金平糖こぼし地球を去りゆかむ
【作者略歴】
- 小津夜景(おづ・やけい)
1973生れ。無所属。
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