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2014年6月13日金曜日

【小津夜景作品No.27】    天蓋に埋もれる家(後)   小津夜景



天蓋に埋もれる家(後)     小津夜景
この家はあやふやなどころか、否応なくの感触で私に押しつけられゐる/どこかから来た訳でもなく、なにをした訳でもなく、ふと気づいたら嵌まり込んでゐたこの家に、私は約束を待ちつづける人みたいに閉ぢ込められてゐる/それがどんなに残酷な意味をもつてゐるのか、あなたに想像できる?/私だつて、意味を取り去ること自体を疑つてゐるのではないし、この本の『問ひを問ふ』といふ態度までを嫌つてゐるのでもない/ただどうせなら、来たるべき実現を目指すのでなく、過ぎ去つた実現を見た方がいいのにと感じてしまふだけ/もちろん問ひを問うて大いなる問ひへとのぼりつめれば、その果てには恍惚といふ恩寵がある/そして実際この本は死の側から生を照らし、死を以てなす生の実現に次元をたがへる恍惚をおぼえたがつてゐる/どうして/どうしてだらう/ねえどうしてなんだらうね/次元をたがへてしまえば、そこで問ひは終はつてしまふといふのに/私、そんな風に問ひを終へて平気でゐられる訳は、きつと『大いなる問ひに至る』といふ目的を見い出した時点で、もうその人の実存が探す必要なんてない、絶対に疑ひないものとなつてゐたからなんだと思ふな/だつて目的は、生の結末を生きえない人間にとつて、カタルシスの先取りを意味してゐるんだもの/でもほんとは、生を垣間みるためには問ひを終はらせてはいけない/世界を浄化してはいけない/内部の現実を外部の実現と接続させてはいけない/ここにある、私の実現の意志とは無関係にある生、この『ならねばならなかつた現実』こそが、私になにかを問はせることを忘れてはいけない/さう思はない?/で、結局ね、私がこの家を出てゆくことはないわけ/いくら他人が私の話を制して『恍惚という術を排除して、人は決して生きられない。恍惚を知れば、あなたはその瞬間、それまであなたのゐた場所から追はれることになる』と言はうと、私は自分がこの場所から脱出して、死んだり生きたりする日が来るとは、もう全然思つてないのよ/え?/もつと分かりやすく?/こんなかんたんな話なのに/あのね、私はこの本を書いた人ともイエスともまるでちがふの/私は彼らみたいに『あるがままの現実』を蔑んだりできないし、彼らの夢見るやうな、現実と実現とを高みでひとつに交へる恍惚にも興味がない/でもね、だからつて私が『魂の脱離』の問題を無視してるなんて思はないでね/だつて私は『あるがままの現実』から『ならねばならない実現』までを駆けあがる恍惚のかはりに『ならねばならなかつた現実』から『あるがままの実現』までを馳せくだる眩暈を知つてゐる/私にはそんな自由だけがある/そして生死が非対称であることは、そんな『ならずもの』になる自由の可能性とあからさまに関はつている/現実を問ひつづけて、実存の翳を彷徨つてゐるときこそ、私は「私」の仮面をそつとはづした『あるがままにある』『なにものでもない』人でなしとして、ひそかに実現されてゐるのよ/……/……わかつた?/ああ、よかつた!/それでね/もう予想がついてるかもしれないけど実は/実は私はこの家の幽霊なの/広すぎるやうな、狭すぎるやうな、すべてを呑んでしまつたやうな、じぶんの重さで天蓋に減り込んでしまつたやうなこの家の幽霊なの/ここがすべてを呑み込むせいで、私は世界の外をうしなひ、私は孤独な世界になつた/けれど、どこまでも開かれた袋小路にゐる私には、もはや出てゆく場所がない/そして人でなしといふのはさうしたもの/ところで/それがどれだけ恐ろしい意味をもつてゐるのか、あなたに想像できる?

 Pour de l’eau.
あまがへる眉間にあふれやまず咳

 La personne s’apporte comme une molécule.
ぼんのくぼ親は代々落ち蛇で

 sans bruit.
蛸運ぶはづが手中にわが首が

 Supporte bien la vide de l’univers.
かはほりのながれの果てに額を出る

 Personne qui ne vient que de moi.
空井戸と書いたまなこを生け捕りぬ
 
D’une plaie à la reproduction.
ここはまだすこしすずしい指がとぶ

L’espace est tout petit.
カフカ忌の耳のやうなる門がある

 Et immense,
シャーベットしやぶる舌みな抜けてゆく

  Avec un sorbet,
とどめを ろめろの髪にかをるめろん

 devant le visage vers quelque part.
パセリかと刎ねたらなにものでもない顔だ





【作者略歴】
  • 小津夜景(おづ・やけい)

     1973生れ。無所属。





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