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2014年6月6日金曜日

【俳句時評】 クプラスの第二特集にびっくりした /  堀下翔


今回から俳句時評を続けて書くこととなった。筆者はぴっちぴちの18歳、茨城に住む大学一年生である。18歳に何が書けるものか、と自分で思う。何も書けないと思う。せめていちばん若い世代が、俳句の世界をどんなふうに見ているのか、その断片を示せたらいい。

『クプラス』創刊号(2014年3月発行)のことを書く。その第一特集「いい俳句」が注目を集めている印象だが、個人的には第二特集「番矢と櫂」のほうにびっくりした。

番矢と櫂の時代なるものがかつてあったらしい、というのはよく聞く。実際、古い俳句雑誌や評論を読めば、その時代の二人にかけられた期待に、触れることができる。たとえば、1993年に世に出された『現代の俳句』(平井照敏編/1993年/講談社学術文庫)は、500ページにわたって虚子から皆吉司にいたる107人の句を示す大アンソロジーであるが、その総論にあたる「現代俳句の行方」において平井は、全10ページ中3ページを番矢と櫂の動向に割いている。具体的に句を引用して検討しているのもこの二人のみ。虚子から皆吉司を総括する中で、この二人の贔屓のされ具合は、印象的である。

この時代はどうやら世紀末に終わったらしい。『クプラス』創刊号において山田耕司はこれを「流産」と呼んでいるから筆者もこの言葉を使う。番矢と櫂の時代は流産してしまった。理由はよくわからない。山田耕司が書くには――「俳句を通じて自分を表現する」という大枠のニーズにおいて、「めんどくさそうな」番矢と「非人間的な」櫂はそれとなく避けられてきたのだろうか――(『クプラス』創刊号「流産した「番矢と櫂の時代」をやっかいな鏡とする」)ということである。

番矢と櫂の時代は流産した。櫂の名前は「古志」主宰引退や『震災歌集』の話題などでよくよく目にしたが少なくとも「番矢と櫂」の時代の注目のされ方ではなかっただろう。番矢にいたっては、俳壇とは離れたところで活躍しているとは聞くものの、いま、どこでなにをしているのか、よく見えない。これに関してはおもしろい話がある。昨年末に2014年版の『俳句年鑑』が出たとき、それを読んだ青本柚紀(この年の俳句甲子園において最優秀句に選ばれた女子高生)からメールが飛んできた。「今日俳句年鑑見るまで夏目番矢さんをずっとお亡くなりの方だと思ってました(-.-;)」(原文ママ)。高校生俳人はプロの句を読まないという定説(これはかなり真実である)のなかで、彼女は相当な勉強をしている人物であるが、その彼女が「亡くなってると思ってた」というのは、ちょっと個人的すぎるかもしれないけれど、象徴的ではある。

『クプラス』創刊号の第二特集にびっくりしたのは、つまり、なぜ2014年の今に、番矢と櫂に光を当てるのか、という点においてだった。番矢と櫂の時代を再検討するタイミングが、2014年にあっただなんて。

読み終えて、もう一度びっくりした。番矢と櫂の時代をいま取り上げる必要があるとは、特にどこにも書かれていなかった。この特集を整理すれば、まず山田耕司が「番矢と櫂の時代」を「流産」したものとして捉える「流産した「番矢と櫂の時代」をやっかいな鏡とする」、次いで福田若之による櫂の作家論「楽園世界の構築原理 長谷川櫂の一貫性」、生駒大祐による番矢の作家論「映像を見つめる 夏石番矢の非至高性」、さらに前記三人に高山れおなを加えた座談会「消費の正統、キーワードの王国 彼らの俳句は今どう読まれ得るか」、終わりに高山による「富士」を視点にした櫂・番矢論「自動富士と右目富士」である。山田の文章が、いかにして番矢と櫂の時代が終わっていったかを記す他は、それぞれに独立性の高い一本の作家論だった。

と、いうことは、である。番矢と櫂は、すでに、「研究対象」たる人物(それは「歴史上の人物」のようなものにちかい)となっているのではないか。座談会で語られる、福田が番矢と櫂の俳句に触れたのは中学校の国語の教科書においてだった、という話や、それぞれの作家論を担当した福田と生駒が「番矢と櫂の時代」の終焉後に俳句を始めたという事実も、それを象徴している。それぞれの作家論はともに最新句集に言及してこそいるが、その作家論が成立しているのは「番矢と櫂の時代」が完全に終わり、それ以上動きようのないものだからである。

ならば、この第二特集は、『クプラス』が発射したスターターピストルだろう。番矢と櫂を読めば何か出てくる。福田らが取り出したのはその一部に過ぎず、まだまだある。それを探していい時代になったのだ。あるいは、流産から現在にいたる十数年間もそれは可能だったのかもしれないが、少なくとも誰もしなかった。『クプラス』は第一陣である。

もちろん、番矢と櫂は、誰かと向き合おうというときの選択肢の一つとして登場しただけである。だけれども、何かを研究するときには、先行研究が要る。『クプラス』創刊号第二特集は、その意味でかなり意義のあることをしたのではなかろうか。






【執筆者紹介】

  • 堀下翔 (ほりした・かける)

1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。俳句甲子園第15、16回出場。
現在、筑波大学に在学中。

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