こもろ日盛り俳句祭のシンポジウムは、数回にわたり季語をテーマに取り上げてきていた。
これはそれなりに有効で、例えば日本気象協会の24節気見直しキャンペーンに反対して、気象協会の担当者を呼んで議論し、その主張を撤回させることに成功している(最近刊行された協会の報告書では「一般の方からも「24節気を変えるのはやめてほしい」という意見が日本気象協会に寄せられました」と書かれている)。
もっとも、季語についてのテーマで延々と「写生」についての自説の主張を続け他人の発言の余地をなくしたパネラーもいたり、予想外の展開もあったりはしたが。
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今回は、今までと趣向を変えて「字余り・字足らず」をテーマとすることとし、その司会を勤めてほしいと依頼が来た。
パネラーの顔ぶれをみると皆ひとくせもふたくせもありそうな論争好きな人ばかりで、今まで多少混じっていた純真そうな若手がいないので、シンポジウムとしては面白そうだが、司会としてはその運営が思いやられる。
たぶん司会としてはあまり自分の意見が述べられそうもないので、この際先に述べてしまおうと思う。
字余りのこと
今回の小諸にちなんで虚子『五百句』から異形の句を選んでみよう。
明治時代の句から選んでみると、大半が字余り句であり、字足らず句は少ないようである。
【五百句・明治編】
①怒涛岩を噛む我を神かと朧の夜
②書中古人に会す妻が炭ひく音すなり
③曝書風強し赤本飛んで金平怒る
④書函序あり天地玄黄と曝しけり
⑤凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり
⑥叩けども叩けども水鶏許されず
⑦蛇穴を出てみれば周の天下なり
⑧友は大官芋掘つてこれをもてなしぬ
⑨石をきつて火食を知りぬ蛇穴を出る
⑩御車に牛かくる空やほととぎす
⑪此墓に系図はじまるや拝みけり
特徴的なのは、虚子にあっては、俳句575、つまり上5、中7、下5のうち、上5部分の字余りが多いことである(①~⑤)。
これに次ぐのが中7である(⑥~⑧、⑩~⑪)。下5は少ない(⑨)。
またこのことから、無制約に字余りにしているのではなくある種の法則性がありそうに感じられる(2か所に字余りにしている句もあるが一方に限って示すことにした)。
つまり、575の純粋な定型に、その一部だけを字余りにしてリズムを崩しているが、字余り部分を一気に読んでしまえば、全体は575の定型構造が維持されているように感じ取ることができる。
例えば、上5・中7・下5を頭・腹・足にたとえれば、特定局部、頭とか腹とかだけが異常に大きくて、その他の部分は普通であるという詠み方なのである。これが虚子の字余りの法則であった。
だから(櫂未知子のように)中7を8字にすることの抵抗感のようなものはない。
一方で、楸邨や草田男に多い下5を6字にする字余りは少ない。
次に字余りになる部分をよくよく吟味すると、皆文語であり、更に如何にも由緒ありげな表現となっていることに気づく。
これは虚子が能の家(池内家)に育ったことと無縁ではないようである。能の歌謡部分である謡曲にあっては、75調が主調であるが、一方で室町時代の様々な歌謡(例えばクセ舞)を取り入れ不定型となっている部分も多い。
これらは上の虚子の法則によくかなうのである。
このことから、虚子には虚子の字余りの法則、楸邨には楸邨の字余りの法則があることになる。
俳句では家々・師弟の伝承だけでなく、個人個人の文体につながる独特の表現法則があり、特に字余りはそれが多いようである。
相生垣瓜人のようにすべての字余りを排除する作家もいれば、字余りに無抵抗なもの、字足らずに無抵抗なもの、字余りであっても特定の型に対してのみ無抵抗なもの、等様々な傾向があるようである。
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ではなぜ定型に逸脱するのであろうか。上にあげた虚子など、大正時代に入ると自ら「守旧派」(伝統派)と宣言するのであるが、その直前にはこんな自由な文体を駆使していたのである。
これに対して、歌人の岡井隆や阿部完市の主張するリズム論は、なかなか示唆に富む。
定型というリズムはもちろん575の伝統的な形式で厳然としてあるが、これを原型のリズムとすれば、別に意味のリズムがあるという。
「意味が、拍による等時的リズムに干渉し、その等時性を乱す。その時に生ずる音の線の流れを、意味のリズムと呼ぶ」
「拍を単位とする等時的リズムを原型とみるならば、意味の干渉を受けて生まれる意味のリズムは、そのヴァリエーションである」
「そして、意味のリズムが、原型から隔たれば隔たるほど、詩のリズムとしての価値は高まる(逆に原型のリズムにちかづけばちかづくほど、単調になり、そのリズムの表現力は弱まる)」
という。●
つまり我々は、575のリズムに支配されつつ、それが永遠に続くことにいらつくのである。虚子でさえいらいらしたのである。
実際、虚子の⑩⑪などは、字余りにする必要性は認めがたく、虚子のいらつきばかりが伝わってくるように思うのである。
そこで、あの最も自由律に近い阿部完市は
「一句一句それぞれに、・・・字余りという特別の律にあらぬ、定型十七音の一句として、心中に立ち上がらせ、静かに存在せしむる事が可能となる」
と主張する。
つまり字余りは、意味のリズムから見れば、異形のものではなく、純正な定型となるとまで言い切るのである。
超字余りのこと
最後に話題を転じよう。『超新撰21』で華々しく登場した種田スガルであるが、彼女の作品集には次のような句がある。
白壁のリビングに溶ける扇風機と愛撫のノイズキャンセラー
ほぼ短歌に匹敵する長さである。これは短歌であるか俳句であるか。しかし、こうした伝統は江戸時代からあり、談林の俳諧にも長い発句は登場している。
与市に酒を喰ハせ子を雉のませよなんとゝあり 定之
三味線調べ男はつれなげにあちらむきたる 三井秋風正に前衛は戦後の金子兜太にばかり始まったわけではない。江戸の前衛も歴然と存在した。そして芭蕉さえこうした句の影響を受けて、字余りの句が初期には登場する。
あら何ともなやきのふは過てふくと汁 芭蕉
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉
櫓の声波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ
よくみると虚子と同様に、字余り部分は文語であり、更に如何にも由緒ありげな表現となっている。字余りの法則は、芭蕉も虚子も余り変わりはなかったのかも知れない。
さてこれらは短歌か俳句か、少なくとも俳句ではないのか?字余りはどこを超えると俳句ではなくなるのか。種田スガルの例に照らせば、俳句ではないと言いたくなる人がいるに違いない。
安吾の「第二芸術論」
さて最近、若い人たちに再び人気が出始めている坂口安吾に「第二芸術論について」(『坂口安吾全集』第5巻)という評論というかエッセイというか、文章がある。
当然桑原の第二芸術論に対する感想かと思うと、冒頭「私は桑原武夫氏の「第二芸術論」を読んでゐない」というから、桑原とは無関係な坂口固有の第二芸術論である、すこぶる面白い。
「むろん、俳句も短歌も芸術だ。きまつてるぢやないか。芭蕉の作品は芸術だ。蕪村の作品も芸術だ。啄木も人麿も芸術だ。第一も第二もありやせぬ。」
これは俳人が喜びそうだ。しかし、「然し日本の俳句や短歌のあり方が、詩としてあるのぢやなく俳句として短歌として独立に存し、俳句だけをつくる俳人、短歌だけしか作らぬ歌人、そして俳人や歌人といふものが、俳人や歌人であつて詩人でないから奇妙なのである」なんか雲行きがおかしい。
「俳句も短歌も芸術の一形式にきまつてゐるけれども、先づ殆ど全部にちかい俳人や歌人の先生方が、俳人や歌人であるが、詩人ではない。つまり、芸術家ではないだけのことなのである」おやおや、俳句や短歌は立派だけど、俳人や歌人は二流だと言っているのだ。
「外国にも二行詩三行詩はあるが、二行詩専門の詩人などゝいふ変り者は先づない」「日本は古来、すぐ形式、型といふものを固定化して、型の中で空虚な遊びを弄ぶ。然し流祖は決してそんな窮屈なことを考へてをらず、芭蕉は十七文字の詩、啄木は三十一文字三行の詩、たゞ本来の詩人で、自分には十七字や三十一字の詩形が発想し易く構成し易いからといふだけの謙遜な、自由なものであつたにすぎない」うーむ。
だから「俳句も短歌も私小説も芸術の一形式なのである。たゞ、俳句の極意書や短歌の奥儀秘伝書に通じてゐるが、詩の本質を解さず、本当の詩魂をもたない俳人歌人の名人達人諸先生が、俳人であり歌人であつても、詩人でない、芸術家でないといふだけの話なのである」これが結び。
桑原武夫の「第二芸術」よりひどいではないか。
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8月2日 16:00〜18:00
2日目 日盛俳句祭シンポジウム
字余り・字足らず
司会=筑紫磐井
パネリスト=井上泰至、岸本尚毅、櫂未知子、島田牙城
なお、当シンポジウムでは、フロアー発言を積極的に募りたいと肝煎=本井英氏が話しておられます。ご参加下さる方々、是非、これだけは言いたいということを考えておいて下さい。
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