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2014年5月30日金曜日

僕たちは「高野ムツオ」で感動したい   外山一機


高野ムツオの『萬の翅』(角川学芸出版、二〇一三)が第四八回蛇笏賞を受賞した。選考委員の一人である長谷川櫂の選評によれば、長谷川は俳壇が「震災句集」を認めたという点にその受賞の意義のひとつを見出しているようだが(『俳句』角川学芸出版、二〇一四・六)、長谷川の言葉の政治的な匂いはさておき、金子兜太もまたその選評において高野の句集の震災詠を評価していたように、宮城県で「被災」した「高野ムツオ」の句集としての評価が本書の受賞に影響していることは間違いないだろう。そういえば蛇笏賞の少し前に高野は本書をもって第六五回読売文学賞(詩歌俳句賞)を受賞してもいるが、同賞選考委員の高橋睦郎は次のように述べていた。

三・一一大災という新千年紀の大事件に真に対応しえたのは、ことを詩歌に限っていえば、詩でも短歌でもなく俳句ではないだろうか。理由は五七五なる窮極最短の定型が含み込まざるをえなかった沈黙の量にあろう。その沈黙のみが大災の深刻によく応ええたということだろう。なかんずく直接の被災地である東北地方の俳句作家たちの仕事が注目を集めたのは言うまでもない。その決定版ともいえるのが、昨年十一月に満を持して出た高野ムツオ句集『萬の翅』だ。収めるは平成十四年から二十四年春まで足かけ十一年間の四百九十六句。この編集によりみちのくという受苦の地の、しかしとりあえず平穏な時間の流れの中で突然噴出した大災の衝撃が、透明な説得力をもって迫ってくる。
http://info.yomiuri.co.jp/culture/2014/02/post-54.html

だが、そもそもこの句集の震災詠に注目することは、何か肝心なことを見落としている可能性をはらんではいないだろうか。たとえば僕は「地震」や「放射能」といった名詞を抜きにしては震災前の高野の句と震災後のそれとを区別することができないような―もう少し正確にいうなら、僕は、本書にある次のような句を区別することができないのではなく、区別したくないような気がするのである。

我も捨蚕空の青さに身をよじり 
死者に会うための眠りへ葛の雨 
芽吹くとは血を噴くことか陸奥は 
月光の音枯蘆の音となる 
満開の嗚咽ばかりや花の闇 
みちのくの今年の桜すべて供花 
蘆鳴れり一本ごとにいっせいに

 僕は桑原武夫の真似をしたいのではない。結論からいえば、僕には、両者を区別したくないような気がするということこそが、高野の表現行為に対する僕たちの欲望のありようを示唆しているように思われてならないのである。そしてまた僕には、いま述べた意味において、高野の震災詠が、すでに震災前に用意されていたものであったように思われてならないのである。

 先だって刊行された徐京植の評論集『詩の力』(高文研)のなかで、徐はアウシュヴィッツの生存者であるプリーモ・レーヴィの次の言葉を引いている。ホロコーストの危機が迫っておりその兆候さえ見えていたときになぜユダヤ人たちは亡命しなかったのか、という問いに対して、レーヴィは次のように述べる。

知識人たちは数多く逃げ出していたが、数多くの家族がイタリアやドイツにとどまっていたのは事実だ。「その理由を問いかけ、自問することは、歴史を時代錯誤的に、ステレオタイプ的に見ている印である」(プリーモ・レーヴィ、竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞社、二〇〇〇)

このように述べてから、レーヴィは特に「祖国」を離れることの「心理的性質の困難さ」の想起を促している。レーヴィのいう「心理的性質の困難さ」とは、過酷な真実から目をそむけるため無意識につくりあげ信じ込んでいる「虚偽」や「幻想」といった「都合のいい真実」にすがろうとすることを指す。ここで注意したいのは、徐がレーヴィの指摘を次のように解釈していることである。

レーヴィはここでいますぐ逃げ出すという決断を迫っているのではない。また、逃げ出せない人々を愚かだと嘲っているのでもない。「なぜその『前に』逃げ出さないのか?」という質問自体がステレオタイプであり、現実に届いていないと指摘しているのだ。

 高野には「春風や原子力発電所ふわり」(『鳥柱』虹洞舎、一九九三)、「チェルノブイリ夜の菫のその先に」(『雲雀の血』ふらんす堂、一九九六)がある。高野の目に「その『前』」がまるで見えていなかったわけではあるまい。一方で高野は「都合のいい真実」にすがろうとしたわけでもあるまい。震災からすでに三年以上が経っているが、福島の状況を思えば、いまなお「その『前』」であるという見方もできるかもしれない。とすれば、いまなお東北に留まって「想像をはるかに凌駕する」ほどの「艱難」(「あとがき」『萬の翅』)を詠み続けようとする高野の営為とはいったいいかなるものであろうか。

 ただ、ここで忘れてはいけないのは、そもそも僕たちは必ずしもこうした高野の仕事と誠実に対峙できるほど強くはないということである。たとえレーヴィのいう「ステレオタイプ」に陥ることを免れたとしても、読み手としての僕たちにはもうひとつの問題が残されているように思われる。

 たとえば僕は、『萬の翅』を読んでいると、ふいに恐ろしいような気分になる。それはこの句集がとても見事に僕たちの「期待」に応えてくれているように見えるからだ。すなわち、この句集はかつて東北にあって「食へざる詩」を書き続けた「佐藤鬼房」の志を継ぐ者が「被災」し、それでもなお東北で俳句を書き続けているというような、とても美しい「物語」を僕たちに与えてくれているものであるかのように思われる。実際、句集の冒頭で「悼 鬼房」と前書きされた「月光の瀧を束ねにとこしえに」に触れ(むろんこの句は鬼房の「死後のわれ月光の瀧束ねゐる」をふまえていよう)、さらに鬼房の高名句「陰に生る麦尊けれ青山河」を想起させる「麦青む頃鬼房のしゃがれ声」を経過しつつ、震災後に詠まれた次の句を目にしたとき、思わずこの「物語」に引き込まれそうになるのは僕だけではあるまい。

みちのくはもとより泥土桜満つ 
始めより我らは棄民青やませ 
草の実の一粒として陸奥にあり 
冬晴や魚虫草木みな無名 
村一つ消すは易しと雪降れり

 それにしても、どうして僕たちはこうした「物語」にひきつけられるのだろうか。ここで再び徐の言葉を借りてみたい。徐は、『夜と霧』の著者であるフランクルに対する竹熊博英の評価―すなわちフランクルはその著書において「いかにして強制収容所で生きるのか、極限の生存状況の中でいかに自分の精神を高めるのかに主眼を置いている」という評価―をとりあげ、次のように述べている。

 フランクルとレーヴィの間にあるのは比喩的に言うならば、過酷な現実をいかに生き延びるかという「臨床的な」次元と、その現実の原因を究明しようとする「病理学的」な次元との差異であるといえよう。この二つの次元は本来、相互に排除し対立するものではないはずだが、往々にして混同され、同一平面上でぶつけ合わされることになる。そして、「理解できないことを理解しようと無益な努力をするよりも、与えられた運命の中でいかに生き延びるかが重要だ」という、いわば思考停止のメッセージへと歪曲され、「感動的」に消費される。

 たとえば僕たちは「始めより我らは棄民青やませ」という句を見つけたとき、何かほっとするような感覚を得てはいなかっただろうか。あるいは「みちのくはもとより泥土桜満つ」を目にしたときは―?そこに「与えられた運命の中で」生きようとする「彼」や「彼女」の姿を見出すことはたやすい。たとえば僕たちは、「始めより我らは棄民青やませ」という句を見つけたとき、あるいは苦々しく、あるいは気の毒そうな表情をしながら、しかしその一方で「棄民」であると自称する「彼」や「彼女」に安易な拍手を送ってはいなかったか。この句集を、そういうかたちで消費してはいなかったか。

『萬の翅』に対する華々しい評価を見ているうちに、何か恐ろしいような気さえしてくるのは僕だけだろうか。僕は何だか、僕たちが心のどこかでこのような消費の衝動を引き受けてくれる何かがやってくるのを今か今かと待ち構えていたような気がしてならない。それは、「震災」を「棄民」の「物語」へと収斂させることで―さらにいえば、「高野ムツオ」という固有名詞へと収斂させることで―自らを慰めようとする僕たちの心性の現れであろう。震災前から「我も捨蚕」と詠んでいた高野なら「始めより我らは棄民」と詠むのは当然のことなのだというような、安易で傲慢な解釈に僕たちは与してはこなかっただろうか。石母田星人は「俳句総合誌などを読むと、多くの俳人が『高野は風土に根ざしている』と言い、彼自らも『そうである』と書いている」と指摘しているが(「無意識の所産―高野ムツオ小論」『高野ムツオ集』邑書林、二〇〇七)、実際、「満開の嗚咽ばかりや花の闇」と詠み「死者に会うための眠りへ葛の雨」「芽吹くとは血を噴くことか陸奥は」といった句を詠みうるようなまなざしをもって生や死に対していた高野の仕事は、震災後の「みちのくの今年の桜すべて供花」へと確かに見事に接続しているような気がする。思えば、『萬の翅』以前から「阿弖流為の鼓膜を張りし春田あり」(『雲雀の血』)、あるいは「阿弖流為の髭より冬の蝗跳ぶ」(『蟲の王』角川書店、二〇〇三)と詠み、また『萬の翅』においても「蝦夷の血吹き出るごとし春の雪」、「阿弖流為の形見ぞ虫の原一枚」と詠み続ける高野は、「震災」を他者の「物語」へと収斂したい僕たちにとって格好の対象であったのかもしれない。

先に僕は、僕には高野の震災詠がすでに震災前に用意されていたものであったように思われてならない、と書いた。高野の『萬の翅』が明らかにしたのは、僕たちが震災前から持っていたはずのこうした頼りない心性であったのではなかろうか。


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