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2014年5月23日金曜日

 【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その十六~ 網野月を

(朝日俳壇平成26年5月19日から)
                         
◆城に過去あり新緑に未来あり (名古屋市)中野ひろみ

大串章の選である。句意は哲学的命題のようである。「○○に××あり△△に□□あり」の構文は作句の常套手段の一つである。よく見るところである。「あり」が「ない」もしくは他の表現のバリエーションも在り得る。「○○は××△△は□□」であったり、「○○を××する△△なら□□する」といった具合である。○○と△△の対比、○○に対しての××の形容や、続く△△に対しての□□の修飾が秀句になるか駄句になるかの鍵になるであろう。

掲句の場合、城と新緑の対比が巧みである。城郭に残された樹木は往時を偲ばせるものとして格好だ。立地条件がぴたりと符合する。その符号の上で、既に過去のものとなった城に敢えて「過去あり」と形容し、初夏の季題・季語である「新緑に」は盛夏へ向けての「未来あり」と修飾するところは、もしかしたら出来過ぎていて面白さに欠けると評する向きもあるかも知れない。

◆風船の探してをりぬ風の道 (塩尻市)古厩林生

長谷川櫂の選である。着想の良質さに目を瞠る思いである。風に沿って風船が飛んで行くとか、風船の動きに風の動きを知るといった内容のものは散見することがある。掲句のように、風船自身が「風の道」を探していると言うのは出会いの初手である。といって決して奇抜なわけではなく、着想のオリジナリティを感じさせる。確かに「風船」だけでメルヘン的ではあり、素材のイメージに拠る部分もあるのだが、良質なオリジナリティを読む思いである。

中七の「・・をりぬ」で間を置いて披講すると好いのであろう。「風船」が、そのままに探し当てた道のような句意となる。続けて一気に読んでしまっては、味気無いと愚考する。





【執筆者紹介】

  • 網野月を(あみの・つきを)
1960年与野市生まれ。

1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




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