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2014年5月2日金曜日

 【朝日俳壇鑑賞】 時壇 ~登頂回望その十三~ / 網野 月を

(朝日俳壇平成26年4月28日から)
                           
◆うららかや目で物言へば足る余生 (町田市)坂下洋子

稲畑汀子の選である。上五の「うららかや」が句全体の雰囲気を支配している。中七座五の「目で物言へば足る余生」はこれだけでは意味が確定しないが、上五の措辞で大体は掴めるような工夫がなされている。筆者は、「余生」から老夫婦を想像した。長年連れ添った老夫婦の紐帯を思う。アイコンタクトだけで意思の通じる境地は、その二人だけの世界だ。歩んできた人生に対する満足感が滲み出ている。それも上五の「うららかや」の季題・季語が効いているからであろう。季語の斡旋の大切さを改めて感じさせてくれる句である。

◆はははわれをおたまじやくしのやうに産み (東京都)大網健治

長谷川櫂の選である。先ず考えてしまうのが、「産み」以外はすべて平仮名書きであることだ。幼児期の思いを記憶の中から引き出しての効果を狙っているのか、「産み」だけを強調したいが故なのか?多分に「産み」は平仮名書きでは同音異義語の多さから漢字を使用したようにも考えられる。とすれば、平仮名書きの部分は平仮名書きにすることでどのような効果を齎しているのだろう。平仮名書きすることは当然、作者が何かを意図していることは明らかだ。ただその狙うところが読み手に余すことなく伝わることが大切であろうと筆者は考える。解釈の上でいくつかの選択肢が存在することは許容範囲内かもしれないが?!

同日の同欄「朝日俳壇」の左隣に「俳句時評」が載っている。「清新な「見せる句会」」と題してのコラムである。取り上げられているのは第十回の公開句会『東京マッハ』についての報告だ。著者堀本裕樹の言うには「講評の掛け合いに思わぬ解釈が飛び出す。」と記されている。このライヴ感を評価しての言であろう。公開句会の面白さは、解釈百出のライヴ感なのだ。そして、登壇者の顔ぶれを見れば百出は必然のことのようにも思われる。「登壇者は文筆家の千野帽子、小説家の長嶋有、ゲーム作家の米光一成、そして筆者。」とある。

「俳句」の存在について、今後は解釈多様な句の評価が高まる傾向にあるのだろうか?



【執筆者紹介】

  • 網野月を(あみの・つきを)
1960年与野市生まれ。

1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




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