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2014年4月11日金曜日

【西村麒麟『鶉』を読む19】  鎧のへうたん/阪西敦子

西村麒麟の唐突なる句集「鶉」。薄くて、三句立てで、知ってる句も多いし、なにより並びが虚子編新歳時記順、読みやすいはずなのに、案外時間がかかる。それは、麒麟の句が、一句一句はやさしく、かるがると見えて、結構頻繁にそのうしろに作者が立つ、わりとそういうタイプの句だからなのだろう。読みながらそんなことに気づきだしている。
 
ひとつはこういうタイプ。

虫売りとなつて休んでゐるばかり
ちゃんと周りを見ながらね。

叱られぬ程度の酒やちちろ虫
と言っておけば、大丈夫。

灯取虫戦ふための本の山

なんちて♪

冬の蠅怠けても良き時間あり
いつもは怠けていないかのような。

さつぱりと蒲団の中で忘れけり
うそうそ、本当は忘れない。

 「だめな僕だけど、がんばるときはがんばるよ、だって男の子だもの」と言っているのを聞いたことがある。訳ではないけれど、手を差し伸べる人がいるだろう、呆れかえって喝を入れる人がいるだろう、自ら新たな師となることを買って出る人も見たな。そんな、不器用そうな内容だけれど、気を付けなければならない、それらは全部織り込み済み。本当の不器用からは程遠く、「ばかり」「程度」「ための」「良き」の人に気を許させる言葉や、つい引き込まれるシチュエーションが、周到かつ本能的に選ばれている。しかし憎めない。ダメさに鎧う、人たらし麒麟のひとつの骨頂。


もうひとつはこういうタイプ。

虫の闇伸びたり少し縮んだり
少しね。

馬追に大きな影や斜め下
斜めね。

それぞれの悩み小さく鯊を釣る
小さくね。

闇汁に闇が育つてしまひけり
しまうね。

玉子酒持つて廊下が細長し
ぬーんとね。

「きれいだよね、おもしろいよね、すごいよね。家にあったらいいよね、全部は無理だけど、ちょっとならいいでしょ。ねえねえ、お願い」とA子に言っているのは、本当に聞いたことがあるような。うまい麒麟をちらりと見せて、ぬーんと引き上げる。いつものギャップと相まって、麒麟を見直す人、能ある鷹と感心する人、いつもの態度を叱る人がいる。かといって、敵対心は煽らない。あまりのうまさは野暮なのか、句のどこかに、そっと人に褒められやすいところを忍ばせて、そんな、よろしさに鎧う句。

そんな不器用に見せて周到、無欲に見えて野心家、日夜、本の山を武器に戦う麒麟にとって、瓢箪とは何だろうか。からっぽで軽くて丈夫な瓢箪への憧憬、それは周到さや野心を超えて、ありたい自分なのかもしれないなどと、ふと思う。しかし、そんなふうにされては瓢箪の方でも困ることだろう、本来、瓢箪はあこがれるものではなくて、その辺に転がっているもの。こうも連呼されては居心地が悪かろう。

 いかにもな印象が強い句とは別に、実は気に入っているのは、そのどちらでもない第3の麒麟。

落鮎や大きな月を感じつつ
鮎とぷんからの月じわり。

手をついて針よと探す冬至かな
はっとして、ゆったり。

かたつむり東京白き雨の中
雨強し、街狭し。

涼しくていつしか横に並びけり
ふと隣を見れば。

 淋しがったりしない、いいところも見せない、笑わせたりもしない、よい気持ちにもさせない、かわいくもない、かっこよくもない、どこへも行かない、何もおこらない。だけれど、そのときの景色も、その見え方も、麒麟その人も鮮明で味わい深い。

もういいんじゃないかな、麒麟、あんなに素敵なお嬢さんと暮らし、おいしいものを食べて、おいしい酒を飲んで、こんなに楽しい句集もできた。そろそろ、その鎧の瓢箪を手放してそのあたりに転がしておいてやって。




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