ひとつはこういうタイプ。
虫売りとなつて休んでゐるばかりちゃんと周りを見ながらね。
叱られぬ程度の酒やちちろ虫と言っておけば、大丈夫。
灯取虫戦ふための本の山
なんちて♪
冬の蠅怠けても良き時間ありいつもは怠けていないかのような。
さつぱりと蒲団の中で忘れけりうそうそ、本当は忘れない。
「だめな僕だけど、がんばるときはがんばるよ、だって男の子だもの」と言っているのを聞いたことがある。訳ではないけれど、手を差し伸べる人がいるだろう、呆れかえって喝を入れる人がいるだろう、自ら新たな師となることを買って出る人も見たな。そんな、不器用そうな内容だけれど、気を付けなければならない、それらは全部織り込み済み。本当の不器用からは程遠く、「ばかり」「程度」「ための」「良き」の人に気を許させる言葉や、つい引き込まれるシチュエーションが、周到かつ本能的に選ばれている。しかし憎めない。ダメさに鎧う、人たらし麒麟のひとつの骨頂。
もうひとつはこういうタイプ。
虫の闇伸びたり少し縮んだり少しね。
馬追に大きな影や斜め下斜めね。
それぞれの悩み小さく鯊を釣る小さくね。
闇汁に闇が育つてしまひけりしまうね。
玉子酒持つて廊下が細長しぬーんとね。
「きれいだよね、おもしろいよね、すごいよね。家にあったらいいよね、全部は無理だけど、ちょっとならいいでしょ。ねえねえ、お願い」とA子に言っているのは、本当に聞いたことがあるような。うまい麒麟をちらりと見せて、ぬーんと引き上げる。いつものギャップと相まって、麒麟を見直す人、能ある鷹と感心する人、いつもの態度を叱る人がいる。かといって、敵対心は煽らない。あまりのうまさは野暮なのか、句のどこかに、そっと人に褒められやすいところを忍ばせて、そんな、よろしさに鎧う句。
そんな不器用に見せて周到、無欲に見えて野心家、日夜、本の山を武器に戦う麒麟にとって、瓢箪とは何だろうか。からっぽで軽くて丈夫な瓢箪への憧憬、それは周到さや野心を超えて、ありたい自分なのかもしれないなどと、ふと思う。しかし、そんなふうにされては瓢箪の方でも困ることだろう、本来、瓢箪はあこがれるものではなくて、その辺に転がっているもの。こうも連呼されては居心地が悪かろう。
いかにもな印象が強い句とは別に、実は気に入っているのは、そのどちらでもない第3の麒麟。
落鮎や大きな月を感じつつ鮎とぷんからの月じわり。
手をついて針よと探す冬至かなはっとして、ゆったり。
かたつむり東京白き雨の中雨強し、街狭し。
涼しくていつしか横に並びけりふと隣を見れば。
淋しがったりしない、いいところも見せない、笑わせたりもしない、よい気持ちにもさせない、かわいくもない、かっこよくもない、どこへも行かない、何もおこらない。だけれど、そのときの景色も、その見え方も、麒麟その人も鮮明で味わい深い。
もういいんじゃないかな、麒麟、あんなに素敵なお嬢さんと暮らし、おいしいものを食べて、おいしい酒を飲んで、こんなに楽しい句集もできた。そろそろ、その鎧の瓢箪を手放してそのあたりに転がしておいてやって。
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