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2014年3月28日金曜日

【朝日俳壇鑑賞】 時壇 ~登頂回望 その八~   / 網野月を

朝日俳壇(2014年3月24日朝日新聞)から

◆羽搏(はばたき)の音の重さも帰る鶴 (鹿児島市)青野迦葉

長谷川櫂の選である。選評に「大きな扇がきしむように、といえばいいか。「重さ」に春の憂愁がある。」と書いている。その通り「重さ」に作者の慧眼がある。十分に肥えて重くなった体を翼をきしませ羽搏かせての離陸である。文字通り重量感のある羽音がするであろうし、見た目にも重たそうにしていたことであろう。「帰る鶴」の生態をよく察した句意になっている。下五の「も」を議論する先生もおられるかも知れないが、掲句の場合は問題ないし、良い選択であろうと筆者は考える。「の」にして句切れの薄いリズムになるよりも、「も」にして句切れをはっきり意識した方が、リズム感があって句のかたちが整うように思えるからだ。

同じく長谷川櫂の選で、

◆背景の大きく動きゐる木の芽 (高松市)白根純子

がある。選評には「木の芽の静、背景の動。一個の木の芽の大写し」と書かれている。背景は何であったのだろうか?木々の梢が強風に煽られているのだろうか。それならば「木の芽」も当然一緒に動いているだろう。主人公の「木の芽」だけが静で背景だけが動くとは、背景に車が通過したとか、何か動く可能性のあるものがあるということであろうか。それとも望遠レンズで「木の芽」を捉えて、ピントのボヤけた背景が捉えきれずに動いて見えているのだろうか。何かレンズワークのような匂いがしてならない。といろいろと思いを巡らすが、要は「木の芽」なのである。つまり上五中七の措辞に拠って他の全体を排除しているのだ。そこの背景は見なくてよい、と言っているのだ。つまり「木の芽」が主人公であり、そこだけに焦点を絞らせようとしているわけで、一句の中で「木の芽」の季感が充溢しているということだ。

一句の中で季題が効いていると句全体が落ち着いてきて、加えて他の描写部分が読み手の自由に解釈できる。掲句はいろいろな想像を展ろげてくれる句なのである。「木の芽」はそもそも何の木なのだろう?どのくらいの大きさでどんな色合いなのか?想像したくなる。その色や形状を思い浮かべたくなる。季題の有効無効は、読み手の楽しさを左右する。





【執筆者紹介】

  • 網野月を(あみの・つきを)
1960年与野市生まれ。

1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




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