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2013年8月23日金曜日

第34 号 (2013.08.23 .) あとがき

北川美美

夏興帖に関悦史さん、夏興帖番外として「こもろ日盛俳句祭」での作句を網野月をさん、同じく網野さんにはシンポジウム、句会の様子を御寄稿いただきました。俳句時評は湊圭史さんです。 「戦後俳句を読む」ではしなだしんさん。今号は男性陣で固まった感があります。どうぞご堪能ください。

そろそろ豈55号が刊行でしょうか。摂津幸彦賞が発表になるのか、待ち遠しいです。ちなみに当サイトで一番アクセスが高いのは「摂津幸彦賞募集」の投稿で現時点790のアクセスがあります。どのような作品群が応募されたのかたいへん興味があります。

神保町の古本街をたまたま通りました。お盆休みだったため何件かの書店は営業していませんでしたが、『俳人想望』(和田悟朗・沖積舎・平成元年)を入手しました。

 九十五歳のパブロ・カザルスがゆっくりと生涯をふりかえって語る中に、古いバッハの曲を、毎日毎日、日課のように弾き続けたということばのあと、シェーンベルクのように新しい音楽運動にはあまり多くを語りたくないといい、「二十年も経てばあとかたもない」といったのが、きわめて心象的であった。 
 昭和の半世紀には、じつにいろいろの多くのことが起こり、そして、その大半はあとかたもなく消えていった。ぼくば、むかし、残るのが立派だと思ったことがあった。しかし、いま、一方では、残らないものを愛する心を持っている。夥しい昭和俳句の数の中で、消えるために書かれた作品も沢山あったはずだ。それは、カザルスには忘れ去られるものであっただろう。             
-昭和俳句十句撰‐『俳人想望』和田悟朗

ふと夏バテの身体と心が解き放たれたような気になりました。「残らないもの」が美しいということがあります。何かを残そうとすると何か不自然な力の入ったものになるのかもしれません。「戦後俳句を読む」という行為は、消えるために書かれた作品の検証なのかもしれない、と思ったのです。

すでに虫の声が聴こえてきましたが、残暑が続いております。皆様どうぞご自愛くださいませ。


筑紫磐井

○文学の森の俳句雑誌「俳句界」の顧問を務めてきた大井恒行氏が常勤の職を辞した(非常勤の職は残っていると言うことらしい)という。もともと弘栄堂書店の販売を担当していたのだが、澤好摩氏の創刊した「俳句空間」(書肆麒麟版)が5号で行きづまり、これを弘栄堂書店で引き受けたいという話を会社から了承を受けた時から総合雑誌の編集に首を突っこむことになったという。「俳句空間」(弘栄堂書店版)6号から23号までの18冊は伝説の雑誌となって今もって語られている。特に、18号から23号までの6号はかの攝津幸彦が編集委員に加わり、すでに終刊も間近と予想されたから、豈編集部による自由自在な企画がまかり通った記念すべき雑誌となっている。「十七音の遊撃手―輝けマイナーポエット」(18号)、「西東三鬼のいる風景」(19号)、「拡がるネット・いま、同人誌は」(20号)、「俳句はこれでいいのか、悪魔の俳句辞典」(21号)、「俳句の新しい読み方」(22号)、「現代俳句の可能性―戦後生まれの代表作家」(23号)という絶対売れない、しかし読んでみたい特集名が目白押しで並んでいる。

「俳句空間」終刊後、キヨスク(旧鉄道弘済会)の子会社であった弘栄堂書店吉祥寺店は国鉄改革の流れで早晩そうなると予想された通り閉店することになったが、ちょうどその閉店の日に大井氏も定年を迎えたと聞いている。

その後、ただ遊んでいてもしょうがないと言うことで、「俳句界」の顧問に就任したが、その後4年たち、ここも辞めることになったらしい。

「俳句界」と言う雑誌もなかなか一口では言いがたい雑誌であるが、それでも筋の通った企画を見るたびにこれは大井氏の企画だろうと言うことはすぐ分かった。

また大井氏が情に厚い人であることは、編集部のブログを500回以上にわたり執筆し(要するに91%)、文学の森から出した句集をこまめに紹介していたことからもよく分かる。

今回の退職の辞が雑誌「俳句界」の編集後記で出てくるのかと思ったが、何の挨拶もなく名前が消えていた。かわりに、大井氏の担当といってもよいだろう編集部のブログに淡々と退職の挨拶が書かれていた。そこで述べられているのは、今後の「望みは何と尋かれたら、「俳句を作るフツーの人」と答えたいなと思っています」だそうであるが、果たして世の中はほっておいてくれるだろうか。

○それはそれとして、改めてご苦労様と言っておきたい。「俳句界」と何の関係もないこんな場で慰労の言葉を述べるのも妙なものだが、誰もいわないのであるから一言、言わせていただきたい。

1 件のコメント:

  1. 大井さん、ご苦労様です、事情はよくわかりませんが。たしかに大井さんがいるから、内容の層が厚くなっているし、さらにそうなるだろうというような期待は確かにありましたね。
    しばらくは、豈55号の編集に、磐井さんと共に、すこしお時間をさいていただきたく、よろしくお願いいます。堀本 吟

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