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2013年2月15日金曜日

再録・黒い十人の女(三) 柴田千晶

雷鳴に醒めたる顔を誰も知らぬ   三好潤子  


食器棚のガラス、浴槽に張った水、夜の電車の窓、不動産屋の自動ドア……思いがけないところに映った自分の顔にはっとすることがある。鏡には映らない真顔、無防備で疲れた顔。
なんて絶望的な、なんて寂しげな、なんて冷徹そうな(まるで犯罪者のような)顔に見えたり、空っぽのがらんどうに見えたり。

畳にうつ伏せのまま眠ってしまい、雷鳴にはっと目覚めた時、硝子戸に見知らぬ他人の顔が映っていた。

あっ、と思ったがすぐに自分の顔とわかり、自分の中にまだ誰にも見せたことのない顔が一枚あることを知った。

三好潤子は醒めた眼で自分を見つめている。自分を突き放している。そこにどうしようもない孤独が寄り添う。

山口誓子は「天狼の若い女性同人の津田清子、橋本美代子、藤本節子は、いずれも橋本多佳子系統に属する作者である。ひとり三好潤子のみ別の系統から現れた変り種である」(日本経済新聞「私の履歴書」より)と、書いている。この一文から、誓子が潤子の才能を認め、大いに期待をしていたことがわかる。事実、潤子は「天狼」の同人に与えられるスバル賞(年間自選作品最優秀賞)を4度も受賞している。

第一句集『夕凪橋』は異例の句集である。山口誓子の序文と小説家の小島政二郎の跋文が載り、誓子選と政二郎選の二章立てとなっている。誓子の厳しい選からもれた句を小説家の眼で政二郎が拾い上げている。

政二郎の跋文は「この人は会つてゐても、特殊な物言ひをする。多くない語彙で、ムードのある物言ひをする。皮肉も言へば、鋭い批評もするし、複雑な女の感情や心のうちを、じれッたがりながらも完全にこつちへ伝へずには置かない。」と、潤子の女性としての魅力を前面に描きつつ、「これまで誰からも打ち明けられたことのない女の本能のなまなましさ、さういふ女性の新鮮な官能が、感情が、神経が、肉体が、彼女の俳句の中に脈打つてゐる。さうして大胆な単純な表現の中に、彼女の原始的な色と光と形となつて実に新鮮である。」と、潤子の俳句の魅力を手放しで讃えている。

政二郎が指摘する「女の本能のなまなましさ」が、確かに潤子の俳句の根っこにはあるのだが、それがそのまま詠まれた作品からは古い情趣が感じられる。

春の蝉帯のゆるみに鳴きこもる
夕焼を睫に溜めて汽車にゐる
いづこより来る寂しさや蕗を煮て
鰯雲割烹着着て主婦めく日
身の内を衝き来る雪や逢ひにゆく
飛ぶ雪の奥に男の眼を感ず
妻の座の束縛もなし麻の帯   以上『夕凪橋』
魔の霧も掌と掌の温み奪へざる   『澪標』
雛段に女盛りの雛ばかり   『是色』


潤子は生涯家庭を持たなかった。独身であるのに上記の句は良妻賢母の思考の枠に留まってしまっている。

しかし、誓子に構成力を鍛え上げられた潤子は、古い情趣を捨てて新しい感覚を自分のものとした。

晝の情事枯れ梳く公園日が當る
君を消し得るか聖菓の燭を吹く 
地下深く籠らす冬灯未完のビル
洋上に月あり何の仕掛けもなく    
行きずりに聖樹の星を裏返す   『夕凪橋』

何もかも枯れ果てた公園に冬の日が当たっている。その奥の枯れ梳いた雑木林にも日が当たり、抱き合う男女の姿がちらちらと見えている。他人の情事を遠くから見ている潤子。ここに描かれているのは作者の孤独だ。

或いは、自分と男との情事を、公園で遊ぶ子供や主婦たちから見られているかもしれないと妄想したのか―。

自分をモノのように見る眼を潤子は持っていた。

情事という俗っぽい言葉を主情的に描けば陳腐になるが、構成的に描けば生の瞬間を捉えた新鮮なカットとなる。

三好潤子について、自由奔放、天衣無縫、手練手管、華やか、活発、わがまま、直向き……などさまざまに言われているが、ほんとうはどんな女性だったのだろう。
潤子は曼珠沙華を多く句に詠んでいるが、この花について「わたしは、この花を見ると、疎外者の哀しさを感じるのである。」(「私の歳時記」S49.3)と書いている。「疎外者の哀しさ」は、潤子自身のことを述べた言葉だったのかもしれない。

潤子は、ほんとうの顔をまだ誰にも見せたことがなかったのかもしれない——愛した男たちにも。

1944年6月、トラック諸島に向かって航海中のカツオ漁船群は米軍機の攻撃を受け、分乗していた31人の軍人軍属は太平洋マリアナ諸島に位置するアナタハン島に命からがら泳ぎ着いた。

アナタハン島では日本企業によるヤシ林の経営が行われ、その出張所に2人の日本人、農園技師の男とその部下の妻が暮らしていた。部下は消息不明となっており、取り残された妻、K子は夫の上司である農園技師と親密な関係になっていた。

そこへ流れ着いた31人の男たち——。

彼らは原住民たちが1人残らず消えたこの孤島で共同生活を始めた。

1945年8月15日の終戦を知らず、彼らは米兵に見つかることを怖れ、乗っていた船ごとに集落を作り隠れ住んでいた。

島でたった1人の女、K子と農園技師が正式な夫婦ではないことがわかった時から、男たちの間に奇妙な空気が流れ始めた。

やがて男たちはK子を巡って殺し合いを始める。

1人、また1人と男たちは殺されてゆき、或いは行方不明となり姿が見えなくなっていった。
K子と同棲していた農園技師も食中毒で亡くなっているが、本当に病死であったのかはわからない。

生き残った男たちは次々とK子の夫となり、順番に殺され、いつの間にか13名の男たちが島から姿を消していた。

1951年、アメリカ軍に救出された19人の男たちと、たった1人の女であるK子が無事日本に帰国した。

アナタハン島で一体何が起こっていたのか、誰がいつ何処でどんなふうに死んでいったのか、男たちの不可解な死にK子は関わっていたのか、全ては藪の中に葬られたまま。

奇蹟の生還を果たした「アナタハンの女王事件」の主役、K子は、ここから更に過酷な日々を送ることになる。

「アナタハンの女王」「アナタハンの毒婦」「32人の男を手玉に取った悪女」とカストり雑誌に書き立てられ、K子は好奇の眼に晒され続けた。国内では「アナタハンブーム」が起こり、K子主演のB級映画『アナタハン島の真相はこれだ』が公開されるなど、K子は一躍時の人となった。

K子はわけもわからぬままマスコミに踊らされ続けたのかもしれない。騙されてストリップの踊り子になったという話まである。

毒婦、悪女、女王蜂、などと呼ばれ、K子は自分のほんとうの顔を思い浮かべることができなくなってしまったのではないか。

「アナタハンの女王一座」の女優として全国を興行して回った後、K子はようやく郷里の沖縄に戻り、結婚して平安な日々を送る。

1972年、K子は脳腫瘍で52歳の若さで亡くなった。

数奇な運命に翻弄されつづけた女の顔が雷鳴に浮かび上がる。

(誰もほんとうの私の顔は知らない)

次の雷鳴に浮かび上がるのは、K子の顔か、潤子の顔か——。

三好潤子は体が弱く、生涯難病と付き合い続けた。
中耳結核、肝炎、両下肢血管栓塞症、脳腫瘍とさまざまな病気に襲われ、入退院を繰り返している。病床にあっても、潤子は醒めた眼で自分の病を詠んでいる。

麻酔秒読み落下傘開かず寒し
百日病み金魚の愛を底から見る   『夕凪橋』

潤子の年譜には病歴と旅の記録しかない。入院しているか旅に出ているか。
病気と旅と恋愛。

潤子は生涯これだけしかしてこなかったのかもしれない。病気も旅も恋愛もすべて非日常である。
潤子にとって唯一の日常は俳句だったのかもしれない。俳句が潤子を日常に繋ぎ止めていたのだ。

還れざる白鳥の白死装束   『是色』

この句を作った2年後の1985年、三好潤子は脳腫瘍で59歳の生涯を閉じた。
潤子はひとり彼の世に旅立っていった。その死に顔は美しかったと誰もが言う。

病に翻弄され続けた潤子は、死に顔となってようやくほんとうの自分の顔を見せることができたのだ。


参考文献
  • 『曼珠沙華』三好潤子(ふらんす堂)
  • 『女性俳句の世界』第4巻(角川学芸出版)
  • 『戦後未解決事件史』(宝島社)
  • 『殺人百科データファイル』(新人物往来社)
  • 『絶海密室』(新潮社)大野芳
  • 『東京島』(新潮社)桐野夏生(本事件を元に創作)


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