2015年5月1日金曜日

~水岩瞳第一句集『薔薇模様』を読む~  へとへと / 中田剛



 このたび水岩瞳さんの第一句集『薔薇模様』より、そのときどきの私の心に引っ掛かってきたいくつかの句について思ったことを、勝手気儘に句集評にならない半端な雑文で書いてみようと思う。

日本の中年へとへと鰯雲

 句集中まっさきに、この句に食いついた。「へとへと」が今の私の心身の状況
にずばりあたったから食いついた。「中年」というのは、広辞苑には「青年と老年の中間の年頃。四十歳前後の頃。壮年」と説明されている。「日本」の「中年」は、だいぶ前から現在に到るまで、つまりかつての高度経済成長期から停滞衰退期の今に到るまでずっと「へとへと」であり続けている。或る時期も、「二十四時間戦えますか」的にはやされて、うわべは空元気で「はつらつ」に見せかけていただけである。かつては例え、空元気でも元気に装えた。曲がりなりにも鼻先にニンジンがぶらさがっていたからである。今はニンジンも何もないまま、昔以上にただひたすら走れ走れとけしかけられている。「へとへと」どころか「へとへとボロボロ」である。ところで、この句はいろいろ差し替えがきく。「日本」と「中年」の箇所を入れ替えて想像して楽しむ。さまざまな国のさまざまな年代の人々の「へとへと」が想像されて面白い。私は、年寄りのとば口に立っているから、さしずめ「日本の老年へとへと鰯雲」か、あるいは「日本の初老へとへと鰯雲」だろう。「鰯雲」は動かない。「鰯」は生き腐れしやすい「人間」の「群れ」そのものである。

 実物の水岩瞳さんには、句会で一、二度お会いしている。しかし、水岩瞳さんの実体は何ほどもわかっていない。俳句とて、まるきりの虚構であってもよいわけだから、句集『薔薇模様』に水岩さんがそっくりそのまま映し出されているとは限らない。そっくりそのまま映し出されることはまず無いだろうが。それに、そもそも誰でも、自分の実体が何であるかはわからない。取りあえず水岩瞳さんの実体ニアイコール句集『薔薇模様』が映し出した水岩瞳さん、そう仮定して、ちらちら見える私の中の水岩瞳さんは桜餅が好きで,お芋も好きで、そうして夫婦仲がかなり良い。

父に似て吾も好きなり桜餅 
今日の佳きこと一つおまけの柏餅

 水岩さんのみならず、人にはそれぞれすこぶる好きなものがあり、それらに
大いに励まされることがある。大袈裟に言えば、生きる力をもらう。水岩さんの場合は「桜餅」な訳だ。他愛もないが大体にして、人はささやかな喜びを見つけて日々を生き継いでいるものであろう。

焼き芋を二つに割つて夫と昼 
サッカーの講師の御礼さつま芋

 この二句から想像するのだが、芋が好きなことと夫婦仲のよろしさは偶然交差する。好きな人と好きなものを分けて食べる楽しさが伝わってくる。水岩さんは、夫を愛しているのだと想像する。(このように書いて、顔から火が出るほど恥ずかしい)

とんとんとんと二階の夫に御慶かな 
冷奴われは絹ごし夫もめん 
涼風や夫の鼾をわれ許す

 夫と絡むと何か楽しそうである。

夏は夜さらなり明日はフルムーン

 この句は、うきうきわくわく感があまりにもあけすけである。私は、全く自分勝手にフルムーン旅行と解釈している。


【執筆者紹介】

  • 中田剛

「白芽」代表、「翔臨」「円座」同人
 句集『竟日』『珠樹』句文集『中田剛集』




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