2014年10月3日金曜日

 【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その三十五~ 網野月を

(朝日俳壇平成26年9月29日から)

◆台風の外れたる闇の深さかな (三鷹市)村居田貞子

長谷川櫂と稲畑汀子の共選である。台風が逸れたことには安堵感を持ったのだが、よく見ればそこには漆黒の闇が広がってその深さは計り知れない。中七の「・・たる・・」は闇の組成の原因を外れた台風に結び付けている。襲来するだろうと警戒していたものが外れて、一息ついたところに得体の知れないものが横たわっている。現代社会の恐さを暗示している様である。

句には明確な切れがなく、リズムと子音の配列が少々難解である。がよくも「台風」と「外」は相殺しつつも、「闇」と「深」を加えてネガティヴ語を四つも並べ立てたものである。

◆一斉に稲穂手を振り熱気球 (栃木県野木町)小林たけし

大串章の選である。「揺れる稲穂の上を熱気球が飛んでゆく。「手を振り」の擬人化が楽しい。」作者の所在は何処にあるのだろうか?稲田と熱気球を視野におさめる高台にでも立っているのだろうか。その熱気球に搭乗していてほしい、と筆者は願う。搭乗する自分へ稲穂が手を振って応えてくれている景を想像する。作者本人を重ね合わせている座五の「熱気球」によって客観的な表現が成立している。

◆蝉時雨消えて耳鳴り残りけり (熊本市)山澄陽子

稲畑汀子の選である。評には「二句目。蝉時雨と耳鳴りの関係が面白い。」と記されている。作者にしてみれば面白いでは済まされない耳鳴りである。蕉句「閑かさや岩にしみいる蝉の声」を大いに意識している句であろう。「蝉」や「蝉時雨」の季題で作句してこの焦句を意識しない方が難しいくらいだ。掲句は初五から蝉時雨への意識を叙している。突然に消えた蝉時雨に自疾の「耳鳴り」が蘇ったということである。座五に「残りけり」とあるからには同時に両声が鳴っていたということであり、蝉時雨のヴォリュームが勝っていた訳である。評はこの音量の大小を面白いと言っているのか?大小に限らず音質の違いか何かで、蝉時雨が一方的に聞こえていたということなのだろうか。医学にも物理にも暗い筆者は不明である。日頃耳鳴りに悩まされ続けている作者は、蝉時雨に束の間の休息を貰ったのだ。「残りけり」が現実に引き戻された作者の感慨を表現している。



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