2013年8月9日金曜日

第32 号 (2013.08.09 .) あとがき

北川美美

○夏興帖、二十四節気題詠句、そして現代風狂帖と今回も俳句作品が充実。風狂帖に御寄稿頂きました後藤貴子さんは、高校時代より俳句を始められかなりキャリアのある方です。昭和の終り頃の女子高生の作品はどのようなものだったのか拝見したい思いです。


愛ばかり包めば湿る新聞紙

あそびたりないタマネギの帯電ぞ

死ねないほどの退屈もあるコンビニよ

決して怒らぬダリアよ内出血せしか

山に脈はあるか瀕死の鷹の群れ


上記は贈呈を受けました第二句集『飯蛸の眼球』(2010年刊)から引きました。今回お寄せいただいた新作は、さらに力の抜け加減が出ている印象を受けました。


○今号、【現代詩?時評】を掲載しました。


○こもろ日盛俳句祭に行ってきました。次号からレポートを掲載してゆきたいと思います。

○小諸に近い、軽井沢の通称テニスコート通りに「代官山・仏蘭西館」という小さな西洋陶器の骨董屋があります。この店主は、かの「俳句研究」で特集が組まれた山口澄子さんのお店だと伺っています。昨年からお店を訪ねておりますが、なかなか営業日に巡り合わず、未だ外側からお店を覗くにとどまっています。


木魚鳴る旧軽井沢裏の秋   山口澄子







筑紫磐井

○こもろ・日盛俳句祭に参加してきた。北川編集長も参加、知友を増やしてきたと思う。大体が結社の人達だし、日頃我々が会う機会のない人達だが俳句の縁は貴重だと思う。

○むかし、秩父の俳句会から招待されて、講演に出かけたことがある。当時まだ若造であった私の話をきちんと聞いてくれたのは有難かったが、恒例の懇親会で私の隣に60年前のうら若きお嬢さんとおぼしき――つまり私の三倍ぐらい年上のおばあさんが座って接待をしてくれた。

「女性に年齢を聞いては失礼ですがおいくつですか。」

「80歳よ。」

「お年なのに元気ですね。」

「俳句をやっているからね。」

「何がきっかけで俳句を始めたんですか。」

「字を忘れないため。」

「?」

「学校を出て字を忘れないためよ。」

「?」

「ここら辺の子は小学校を出たらすぐ家(農家)の手伝いを始めるわけ。私もね。朝から晩まで畑で働いて帰ったらばたんと寝るだけ、学校で覚えた字も忘れてしまうぐらい。それで字を忘れないために、(字を書く)俳句を始めたの。」

「俳句を作るので字を書く機会が出来るわけ?」

「そう。」

感動的であった。西欧の詩学も、第二芸術もあったものではない。こんな即物的で力強い世界観があったのだ。これを誰も――どんな前衛俳人も――否定出来ないだろう。

愛媛県で正岡子規国際賞のシンポジウムのパネラーになったとき、流暢な日本語をしゃべる東京の大学で教授をしている外国人女性と一緒になったので、こういう話があると紹介した。「だから俳句は詩を超越するんです」と言ったら絶句していた。いや、彼女も少なからず感動しているようだった。

俳句への情熱もあるが、かつての日本人にはこうした向学心もあったのだろう。そして私に話をし、俳句もし、漢字も忘れなかったおばあさんは、その時某結社の主要同人となって私の世話をしてくれていたのだ。結社恐るべし。そして兜太を生んだ秩父の土地柄とはこんなところでもあったのだ。



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