2013年3月1日金曜日

三橋敏雄『真神』を誤読する 75.<絶滅のかの狼を連れ歩く>/北川美美

75.絶滅のかの狼を連れ歩く

敏雄の代表句として取り上げられる有名句である。

すでに『詩客』上に於いてテーマ「風土」にて上掲句について触れている。それを元に加筆していきたいと思う。

風土の中に根づく私たちのアイデンティティを共通認識とし、その“五感”を敏雄は「連れ歩く」ことを俳句にした。風土に根付く五感に季語に代わる格付けを与え、詩歌といえる無季句を得たと思える。無いものをあると表現することは幻想の世界になるが、敏雄は幻想を越えるものを句とした。単なる幻想ではない。幻想の世界をリアルに表現することにより、その幻想がわれわれに何かを問いただしている。かつての「新興俳句」とも違う、他に真似のできない無季句を敏雄は得たと確信したときだと思える。

目の前に映っていないものを描こうとする手法は、『眞神』にはじまった構想ではなく、前作『まぼろしの鱶』にすでにある。

共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに

「幻の鱶」「絶滅のかの狼」どちらも存在しないものである。敏雄自身が見たいと懇願していた対象を詠んだのではないだろうか。あるがままを詠むということの他に俳句にできることは何なのか。目の前にないもの、存在しないものに対する渇望を表現化した。それが敏雄の中の「新しい俳句」となったのである。

主役が鋭い動物である。鱶(サメ)にしても、狼にしても、男の憧れ、ロマンの対象となる動物ではないだろうか。勇敢で人をも食い散らす恐れられている動物。そして世界各地で伝説の多い動物。

さかのぼって、『青の中』。

かもめ來よ天金の書をひらくたび

かもめは目の前にいない。「かもめよ、来て」という願望である。すでに『靑の中』に当時の新興俳句作品群とは異なる詩的創作句を得ていたのである。

かもめ、鱶、狼、どれも敏雄の俳句に対する渇望の対象に思える。同時にその対象は読者もロマンを描くことのできる空・海・陸の生き物であった。上掲句は世代、時代を超えて、俳句に馴染みのない人からも極めてクールと支持されるのだろう。

狼に戻ろう。狼の神話は世界中にある。北欧の詩の神がつれる二匹の狼「ゲリとフレキ」、ローマ建国の兄弟・ロムルスとレムスを育てた狼、赤頭巾、狼男、そして日本の大口眞神などの神話、童話に常に登場した動物。狼そのものが詩の原点でもあるのかもしれない。

マイケルジャクソンを有名にした「スリラー」のミュージックビデオに世界中の人々が釘付けになった。赤いスタジアムジャンパーを着たマイケルがみるみるうちに狼男となってゆく架空映画のシーン。そして、墓場から死体が起き上がりマイケルと一緒にステップを踏む。有り得ないことがリアルに映像になったあの映像。マイケルと敏雄が憧れる「狼」という共通点。その両者どちらも狼という動物を介して“リアル”ということにこだわったことにある。


ニホンオオカミというわれわれ人間の過失により末裔を絶たれた幻の獣。それを現時制に引き寄せ、「連れ歩く」。時制を操り幻想とリアルが同居する世界を俳句上で創りだしたのである。

そして「絶滅」という途方に暮れる言葉が、時代を超えて妙にリアルだ。人間の原罪を問う問題意識。絶滅、絶望、玉砕、焼失・・・心の中にそれらの言葉が渦巻く。失ってから気づく人間の愚かさ。その人間様がわれわれなのである。

この句は先の100年も名句として取り上げられるだろう。この句について書きつづけられる、語り継がれると確信する。






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(Produced by Jhon Landis & Michael Jackson 1983)


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